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テーマ:在宅介護(1594)
カテゴリ:介護日常
トマ女さんの退院を目指していた頃、痰の吸引とおむつ交換の介護練習をした。結局、自宅での実践はかなわなかったが…。
痰の吸引は、固くなって取りにくい痰でなければ、動作としては思ったほど難しくなく、トマ女さんにも必要以上に苦しい思いをさせることはなさそうだった。あくまでも1日に最低1回は、看護師さんにしっかり吸引してもらうことを前提とすればだが。 一方おむつ交換は、ベッドの高さ、被介護者の体重、汚物等の扱いなど、体力面、手際面共になかなか難題。これを1日7回くらいするのは、時間的にも、体力的にも負担が重いと思わざるを得なかった。小柄なトマ女さんだけれど、介護する私も体格、体重ともほぼ同じだし…。 それでも我が家に帰り、好きな音楽や物に囲まれて、少しでも入院前の状態への回復を目指せるなら、何でもやろうと思っていた。だから、手際が悪く時間もかかってしまう分、慣れなければと思って何度も練習させてもらった。 ただ、少し余裕ができて客観的にみれるようになると、思ったことがある。必ず話しかけ、トマ女さんの顔を見ながら交換作業はしていたものの、介護される方は、完全に「お任せ」モードになるしかないということ。 容体が落ち着いて、退院間近とされたある日、車椅子への移乗を試してみたところ、上体を起こして座っただけで目に輝きが出た。私とも同じ目線でコミュニケーションがとれる。これでトマ女さんの意欲を引き出すこともできそうな気がした。 最後の入院まで、トマ女さんは家では歩くことができたから、当然トイレで用を済ませていた。リハパンにパッドで安全策をとり、トイレではパッド交換だけということも結構あったけれど、トイレへの往復におしゃべりもできたし、身体の調子を見ることもできた。トイレの中ではなおさらだ。 それを「えらい」と言ってくれた訪問看護師さんもいたし、リハビリ病院でも、時間や手間、施設の都合と思うのだが、トイレで用が足せても、必ずしもトイレに行かせてもらえないケースが結構あった。だから、できるだけ長く付き添い、トイレに連れて行ったりしたのだ。 おむつで用を足すということは、普通の感覚ではそれだけで相当に心地の良くないものだろう。排泄行為の自己制御を否定するようなもので、意欲やプライドに大きな作用があるだろう。そしておむつ交換は、いくら親身に接しても、被介護者の身体をある意味、もののように扱う部分がある。 容体としておむつが必要な場合は仕方ないけれど、私としてはおむつ交換は、あまり肯定的に捉えることができない介護行為だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.06.21 12:18:10
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