|
テーマ:介護・看護・喪失(5317)
カテゴリ:家族として
いろいろなマナー本などには、「形見分け」は四十九日の法要をすませてから…とかあるようだけれど、私にはまだ、トマ女さんのものを整理する気分になれないでいる。
勿論、普段の生活空間は、早々に借りていた車椅子は返却し、使用していた胃瘻関係の備品も、ついこの間やっと処分をした。私はかなり捨てられない人間です。 お洒落だったトマ女さんの沢山ある洋服やバッグは、姉が来るたびに少しずつ選んで、持って行ってもらっているけれど、そんな量はごくわずか。大部分が昨年と同じように、引出しの中は夏物に入替えて収まっている。(これは姉に選んでもらいやすくするためでもありますが…) 食器やインテリアなどに至っては、トマ女さんが気に入って買ったものと、頂き物などが、ごっそりある。物を大切にする昭和一桁世代で、幸い工夫次第でスペースはあったから、思いがけないものが残っていたりもする。 これらもやっぱり、そう簡単には処分できない…。 でも、こうして月日がめぐり、お盆の準備をしてると、旧宅で埃をかぶっていた山鹿燈籠に目が留まった。もうずーっと前、私たち一家が熊本にいたときに買ったか、頂いたものだ。前面がガラスの桐箱入りで、コンセントに挿したらちゃんと灯りもつく いわれを調べたら神事にまつわるもので、仏教とはちょっと異なるようだけど、現在、燈籠祭は8月15・16日に行なわれているというから、この際、お盆の燈籠のひとつとして飾ることも許してもらえるんじゃないかと… 40年近くを経て、初めて、灯りをともしてお飾りする機会となるのだから。 こんな風に、日常生活で必要となるもの、欲しいものが変わっていくことは、ここ数年、会社勤め→在宅・介護という、私の生活の激変で多く経験している。そして今また、介護生活とはやや異なる服装を自然とするようになってきている。 猛暑対策として見ると、これまで目に留まらなかったトマ女さんの服を、ちょっと借りて着てみようかと思ったりすることもある。 既に物があるならば、1年~3年着なかったり、使わなくても、「いずれ…」と可能性があるものは、できればとっておいた方がいいかもしれない。そして、新しいものが必要になった時、生活環境が変わった時、手持ちの中から発掘して使えばいい。保管できるスペースがあればの話だが…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.07.11 04:19:27
コメント(0) | コメントを書く
[家族として] カテゴリの最新記事
|