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ヴェーダでインドと言ったわりにはのっけからイスラムのお話ですが、これが結構いるんですよね~モスレム(イスラム教徒)の方達。 人口の10何%くらい?そして多くの町にはモスクが。 アザ-ンとは礼拝を呼びかける祈りの声、早朝などにモスクの尖塔から聞こえて来る「アッラ~、アクバ~ル・・・♪」というあれ。 間違ってモスクの近くに滞在などしてしまおうものなら、アッラ~♪で早起き出来る事は間違いないですから。 イスラムの戒律では、1日5回もメッカの方角を向いて礼拝しなければいけないらしいけど、はてさてモスレムの方達はそんなしち面倒臭い事を本当に毎日やっているんでしょうか? などとつい疑いの目を向けてしまいますが、私が見た限りでは結構やってるんですね~これが。 1回のお祈りは5分とか10分でも良いらしく、一日がスッキリと気分良く過ごせるツールにもなってるんだそうです。 ちょっとした瞑想みたいなもの? インドで印象的なのは、ありとあらゆる宗教(つまり文化や哲学)が渾然一体として、それなりに共栄共存している事です。 最近でこそカシミールのインドとパキスタン国境付近の紛争が激化している影響で、他の場所でもイスラムvsヒンドゥーの小競り合いが起きていますが、以前はそんな事も少なくてもっと平和だったような気がします。 インドでは、どの町にも必ず一軒はある神様グッズ屋。 それこそ八百万(やおよろず)の3倍と言われるヒンズー教の神々に加えて、イスラム教は偶像崇拝禁止だからグッズが少ないけれどもコーランを開く台座みたいなものがあったりして、仏教、ジャイナ教、シーク教、キリスト教、パルスィー(ペルシャ)と呼ばれるゾロアスター教(拝火教)などの、神様や聖人達などが店中所狭しとてんこ盛り状態です。 神様はアイドル的な存在だし、ちょっとくらい数や種類が増えたって誰も気にしない、周りの人が何を信仰してようが別に気にも留めない、いたって大らかな宗教観の国なんですね。 マハトマ・ガンディーが、亡くなるまでこだわっていたという印パの統合独立。 もし印パが同じ国だったとしたら、今のカシミール紛争は多分存在しなかったんじゃないでしょうか? たまにはちょっとした摩擦や葛藤が起きたとしても、インドの他の場所のようにそれなりに上手に住み分けて調和しながら生活し、そんなにはぶつからずにやって行けたのかもしれません。 日本も歴史的には大らかな宗教観の国民性で、本質的には八百万の神々的発想の多神教的な文化です。 キリスト教以前のヨーロッパだって多神教的だったし、古代は世界中がそんな感じで、実はその方がごく自然な信仰や宗教のあり方なのかもしれません。 宇宙の太陽や月や星、大地や山や海や河川、自然現象や天変地異、豊作や大猟や大漁、自分達の力を超えた存在や事象に対して畏敬の念を持ち、祈り願う事って多分人間の素直な感情なんだと思います。 一神教ってひょっとしたら、核兵器よりも破壊的な発明だった? 歴史的にも、そして今日この頃だって結構そうですよね。 そして現在も戦火の絶えない、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の神様が同一神っていうのが何とも・・・、よっぽど血気盛んな怒りっぽい神様なんでしょうね? ガチンコ対決を避けるためにはファジーな曖昧さも大切だし、あまり突き詰めないで時には流す事も必要ですよね。 いい加減って悪くない時もある、いい加減なのが本当は良い加減なのかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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