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突発性難聴に襲われました。
木曜日に、おかしいなーと思いながらも、金曜日はコーラス練習(コンサート1週間前)とレッスン。ビリビリした聞こえ方でした。土曜日は合唱研究会で小学校合唱部の伴奏。舞台の子どもの歌と自分の手元のピアノの音をブレンドするのが難しく感じました。さらに講師の先生のマイクの声がボワンボワン頭の中で響いて、ものすごく不快。 この頃には、自分の中でも「突発性難聴」は確定的になっていました。 この病気を患った友人に、発症後なるべく早く受診すべき、2週間を過ぎると治療の効果は望み薄になる、という話を聞いたことがありました。月曜には何が何でも受診せねばという思いでした。 校正の仕事が2つ。原稿書きも。コンサート目前のコーラスでは、1時間くらいのプログラム総てでピアノを弾くほか、ちらし作成に続いてプログラム編成と版下作りも。小学校合唱部の今年度初舞台。パッチワークの色合わせが最終段階。それに加えて、写真の整理。さらにさらに、テニスのグランドスラム大会が全仏から2週間置いてウィンブルドン……。 睡眠時間は、連日3〜4時間。しかも、コンサート翌日から高知の娘のところへ行く予定にしていました。 「なんでも楽しんでする」のが人生のモットーでしたが、さすがにこれだけ重なると、「旅行までに、すべてこなせないかも」と弱気になり、逃げたいなーなんて、ちらっと思ったりしていました。 そこへ、病が襲いかかったのです。 私の症状は、回りに音があると耳がざわざわ。沖縄の、背よりも高いさとうきび畑のただ中に立っているような、ざわざわざわざわ…という音がして、聞きたい音を消してしまうのです。耳の機構の中にある繊毛が、総毛立ってるような印象です。テレビをはじめ、キッチンの換気扇、隣のマンションの工事の音、道を通るトラックの音、聞こえるたび「ざわざわざわざわ…」と不快でした。 月曜日に受診。 まずはメニエールの薬を処方されました。翌日、再受診してステロイドを処方するかどうか決めるとのこと。 全然効いた気がしません。 ええーー!? このまま一生耳鳴りが続いたらどうしよう!? 聞こえない状態には、慣れるものだろうか…と、弱気になりました。 火曜日にプレドニン10mg×3回を処方されました。このとき、「土曜日から旅行を考えている」と話すと、「えーっ?」と医師。とにかくステロイドの効果を見て判断するとのこと。内心、旅行は難しいかもなーと思いつつ、でも行きたい!! 祈るような気持ちでした。 翌水曜日。発症より約1週間。 検査では、まだ低音と高音とが30デシベルくらいの聞こえ(軽度難聴)でしたが、回復傾向ではありました。ザワザワいう音も軽減してきていました。 自分が音楽家で、耳は絶対守りたいこと、でも旅行も娘の結婚準備のためであることを伝えました。 医師は「うーーーん。あっちもこっちもかぁ。うーーーーん。自覚症状はとりあえず良くなってる。数値上も良くなってる。だけどなぁ…」と唸ってます。わたしも黙っていると、 「決めるのはご本人ですし、保証はできませんけど」と前置きして、「難しいところだけど、僕なら、行くかな」と医師。「娘さんの結婚なんて、一生に一度のことだしね」。 いい医者だなと思いました。この言い方は、患者の判断上、大きな助けになります。「行きます!! 結果は自分で受け止めます」と宣言して、覚悟を決めました。 実際、一晩寝る毎に、症状は良くなったり悪くなったり。耳が詰まったようにボーンとしていたり、頭全体にボワーンと響いていたり、スキっと何もなかったり。金曜日のコンサートの日は、ちょっとビリビリくるぐらいでしたが、高知に向かう土曜の朝は悪くて、今この時点でもキャンセルしたほうがいいかも…と思ったくらいでした。 飛行機の気圧差は大丈夫か? このまま聞こえが戻らなかったら、音楽家としての活動は難しくなるなとか、葛藤しました。 飛行機よりもむしろ、特急しなののほうが辛かった!! 騒音もかなり大きく、振り子電車の揺れは三半規管にダメージある身にはほんとに堪えました。 ヘロヘロになりながら高知到着。娘が迎えにきてくれましたが、この時点まで娘達には何も伝えていませんでした。 二人で昼食に出掛けたものの、わたしは食欲ほとんど無し。娘によると、プレドニン30mgはかなりの量だから副反応の可能性もあるとのこと。なるほど。ひよっことはいえ医療者の端くれ。頼りになります。 (つづく…) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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