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高知の娘のところでは、前回訪れたときに発注した食器棚などが届いていて、だいぶ「住まい」らしく整って、母としては中身の配置を整えたり、まだ足りない台所用品や夏用寝具を買い整えたりすることが主な目的でした。
それと、写真整理が家で終らなかったので、空き時間にせっせとアルバム作り。コメントを書き添えては、年月順に収めていきました。 ずいぶん前のことでも、写真を見るとその当時のことがありありと思い出されます。人の記憶ってすごいなーと思いました。反面、顔は覚えているのに名前の方はかなり忘れていて、自分の「タグ付け」の能力(脳内では海馬という部分が司っているそうですね)の偏り実感しました。 半病人なので、できることにも限界があるだろうと思っていましたが、土日はともかく、ウィークデーは、娘は朝7時半には出勤、ダンナ様も9時半頃仕事に出るので、夕方までゆったりできてほんとに身も心も休まりました。 片付け、買い物、写真整理、昼寝、夕食の支度。あーのんびり。転地療養してるみたいでした。 1日30mgのステロイドを3日。20mgになって3日。さらに半量の10mgが3日、そして5mg3日と減らされていきました。ほかにも、3種の薬が出ていて、そちらはずっと量は変わらず。状態は、日によって、また時間帯によって、よくなったり悪くなったり。娘によると「それを繰り返しながら少しずつ軽快していくもんだよ」と。身内に医療者がいて、こういう言葉掛けをしてもらえると、ほんとに納得できるし安心しますね。思った以上の「言葉のお薬」でした。 かなりよい状態になったところで、帰宅の途に。火曜日お昼過ぎの飛行機で名古屋まで飛び、そこからまたあの最悪「しなの」です。帰りは行きより悪くて、耳がぼわんぼわん、きゅーーっと頭の輪っかを締め付けられた孫悟空みたいな緊張感を伴う痛み、吐き気、騒音にも揺れにもほとほと疲れ果てて這々の体で家に辿り着き、次女に支度を手伝わせて夕飯を掻っ込み、ベッドに倒れ込みました。 ものすごく悪化してる気がする…(>_<) これでぶり返して再起不能になったらなんとしよう。いいや。そうなったら音楽家人生からはきれいさっぱり引退して、伴奏も教える仕事も全部やめて、高知の娘の元で専業主婦になればいい…と考えたりしました。 でも翌朝には、症状はそこそこ落着いて、受診したところ検査の結果もまあまあ良好。聞こえはかなり戻って来ていました。 専業主婦生活は、まだお預けでしたねー(笑) その一週間後(リアルな時間で、10日・木曜日)、再受診しました。自覚症状は、ほとんどありません。ときどき、音の響き方が左右で違うときがあるくらいです。日常的には不都合はまったく感じません。 念のため、医師に「診断名」の確認をしました(これまでしていなかったのです)。 「突発性難聴だったってことですよね?」 そしたら、なんと、違ってたんですよ。 わたしの場合、低音域と高音域と、両方の聞こえが落ちていたのですが、これは結構珍しいケースらしいです。そして、診断名は、「低音障害型内リンパ水腫」と言われました(この中に、メニエール…この場合、めまいを伴わない…も含まれるそうです)。 蝸牛のリンパ液の量の調節がうまくいかなくなる症状だそうで、低音域が聞こえにくくなるのが特徴だとのことでした。 これは、再発するそうです。 「ベートーベンはメニエールで両耳まったく聞こえなくなりましたからね」と先生。ひえー^^; 体の声を、しっかり聞きなさい。今回のことで、きちんと懲りなさい。そういう意味ですね<(_ _)> 心します。 心したものの、さて、どう生活を変えていけばいいのか。 ・まずは、就寝時刻を見直すこと。 ・家の中のモノを減らして、「かたづけ」ストレスを減らすこと(笑) それ以外は、思いつきません。困ったな(苦笑) あとは、「完全休養日」を設けることだと思うのですが、これがなかなか難しい。家にいると、何かしら「して」しまいます。転地するしかないですねー。 高知から帰って以来、毎回のゴミの日に出せるくらいの量の範囲で、家の片付けを続けています。古い食品や衣類、書類など。台所はちょっとスッキリしましたよ!! 災い転じて、良い「変化の年」にしたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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