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2011.03.28
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カテゴリ:日々つれづれ

私の実家は、仙台の岩沼市という小さな街です。TVにも映っていました。
そして、親戚は福島にも住んでいます。

両親、親戚一同、被災者です。

地震があった翌日、テレビで仙台空港が津波に襲われている映像を見て、ドキドキが止まりませんでした。

上空からヘリで岩沼の街が映されている時、自宅が映っていないか、ドキドキしながら探しました。

『知っている神社が映っていないから、大丈夫だよね・・・』と、妹ちゃんと話しながら、ドキドキが止まりませんでした・・・。

・・・数日がたち、両親、親戚ともに命、家とも無事の連絡が取れたとき、やっと呼吸が出来たような気がしました・・・。


両親が住む街は、今では世代交代している町内です。古くから居る人たちは、だんだんと少なくなり、その子供や孫達が住むようになっています。

見たことがある顔が減っていき、そのため、顔なじみの挨拶もだんだんと減っていきました。

地震があってからすぐの頃、市の広報も町内会長も、年寄りの家に、訪問しに来なかったそうです。

そのために、どこで給水をしてもらえるのか、物資が手に入るのかの、情報が少なかったそうです。

結局、市役所で朝早く、給水をするのが毎日となり、父が寒く、重たい仕事をしてくれていました。

父のように、男手がある家は、幸いです。
老人が、ひとりで住んでいる家庭が何軒もあります。

そんな方たちは、重たい水が持てずに、給水所にヤカンを持って並んでいたそうです。

寒さのためなのか、地震の恐怖なのか、家から誰も出てくる気配は無く、父の家だけが、給水所に通っていて、他の家の人は、『どうしてるんだろ~~ね~~??』と、母が不思議がっていました。

結局、隣近所で、地震について『怖かったね~~』なんて、会話はひとつもなかったそうでした。

私は、この話を聞いて、とても寂しく思いました・・・。


『瞑想』と『祈り』の会に参加してくれた、修道院でも、修道院の子供達に配給はあったそうですが、地震後すぐには、大人たちに食べ物は売ってもらえなかったそうです。

それを見た子供達は、自分達の食料を『この食べ物をシスターたちへ・・・』と、分けてくれたそうです・・・。

私は、この話を聞いて、子供達のやさしさに心あたたまる思いがしました・・・。


先日26日の土曜日に、やっと実家にも電気・水道が出るようになったそうです。
そして、修道院にもサポートスタッフなるものが出来て、活動が始まっているようです。

津波に襲われて、家ごと全て失った方たちは、まだまだ日常を、取り戻すことに時間が掛かると思います。

その、周辺地域では、少しずつですが、ライフラインが繋がりつつあります。

せっかく繋がるんだったら・・・

『ライフライン』だけでなく、人と人とが、『地震、怖かったね~~』とか、『大変でしたね~~』とか、『大丈夫でしたか?』など、『声かけ』をしていって、繋がってみたらどうでしょうか?

『ライフライン』って、水や電気や交通だけじゃないと思うんですよ。

大変な時に、誰かに『声』をかけてもらえて、頑張れた、不安が消えた、笑顔になれた・・・ってことも『ライフライン(命綱)』だと思うんですよ・・・。

水や電気があったって、人はひとりの孤独では、生きていくことが困難だと思うから・・・。








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最終更新日  2011.03.28 09:17:51
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