grip on
英語の「イメージ」(概念)はとても大事だと思う。その単語の本来のイメージを理解することで、そこから派生する言葉たちには共通点があることをわかりやすく理解でき、基礎にも応用力にもつながる。古語でも同じ事がいえる。「る」「らる」は受身、自発、可能、尊敬の意味があるが、それらは全てイメージからなる意味たちだ。共通点を考えてみてほしい。おもしろいから。自分の生き方のイメージを、できるだけ素直に表現できる人になりたい。 本日の過ごし方部活→帰宅→仮眠→だらだら 意味がわからないなぜ世界中の人々はBUMPのスノースマイルをそれほど良いと思わないのだろう。スノースマイルは本当に良いです。僕にとって彼は不可欠な存在です。聞いたことがない人は是非聞いてやってください。俺は最初、BUMPをあまり良い対象として見ておらず、どうせかっこつけだろ、的な印象を受けながら、友達が勧めるCDを借りました。どうせ、と思ってかけたら、これですよ。BUMPは最初からグッとはこないかもしれません。でも回数を重ねるうちに、それはやってきます。もっと聞きたい、いつでも聞きたい、とかね。そしてたった少しの間で、崇拝者になれます。恐ろしいです。 thinking 日記以前話したかもしれませんが。灘高校に入るための塾に入るための塾があるそうです。そんなことを思い出していると。俺は学校の勉強についていくための勉強についていくための勉強をしなければ、と思います。楽しむための楽しみを楽しむための苦労をして、生きていくための生き甲斐をつくるためのやりがいを………終着点こそないものの、始発点は、どこにおくべきなのでしょうか。身近なことから、と、よくいう。身近なこと、って??僕はここで、「奧」という世界を話したい。0<x<1,1<y,このとき、xとyにはどちらの方にたくさんの数が入っているだろうか。答えは、どちらも等しくはないだろうか。ないといわれた世界にも、奧があるかもしれない。身近なこと、といわれても、厳密にいえば、どこから始めればいいの??もちろん、はじめにいっておくできだっただろうが、普段人はある程度の適当さと曖昧さで世界を単純にしようとしているため、普段心配はいらない。あくまで厳密にいえば、ということ。0は、「ずどーん」な数だと思う。0ってそもそも数字であっていいのか??こんな恐ろしい数字って、ない。すべての数の中心には、何があるのだろうか。無論、そんなものはない。だがあるとしたら、それは0??それは1??それは2分の1+√5?? 奧 の話をしよう。伝えようと必死で頑張ろうと思う。二本の直線で鋭角をかいてほしい。その鋭角の先端、点Aまで到達するために、点Bが移動する。しかし点Bは二本の直線のいずれかにあたるまで、直線運動をする。その点Bが点Aの遠くからスタートして、二本の直線の片方にぶつかり、はねかえり、反対側のもう片方の直線にぶつかり、またはねかえる。そうして少しずつ、点Aを目指して、ジグザグと進んでいく。たとえば、半分進んだとする。そこで、一端運動を止め、図を拡大しよう。角度は相似な図形でも変わらないように、虫眼鏡でのぞこうが拡大コピーしようが変わらない。なので鋭角の角度はそのまま。点Aの位置もそのままである。しかし、鋭角の先端点Aと点Bの距離は、遠くなる。つまり、拡大する前では近づいていたように見えた二点の距離は、実は相対的にいうとまるで近づくことができない。もちろん紙に書くと、線や点が面積をもつので、最終的にグジュグジュッとなって、適当に、曖昧に、それは片付く。もし面積をもたない線がかけ、点がかけるのなら、確実に近づくはずのこの二点は、永遠に重なることはない。これが 奧 だ。0からスタートした点xが、1にゴールするために移動する。0→0.5→0.8→0.9→0.95→0.98→0.99→0.995→0.998......確実に大きくなるはずのxが、実は小数点以下の数字を重ねるだけで、次にならない。球を2割削って、一回り小さい球をつくり、それを繰り返す。確実に小さくなるはずの球の体積が、なくなることはない。いつまでも変化し続けるそれが、あるラインを永遠に越えられない。そこには、奧の世界があるからだ。僕はそこに、新たな軸を見た。もう一つの空間。3次元と4次元と、もう一つの世界。そこには何もなくて、何かがある。増え続けるのに、満たされない、ブラックホールのようなもの。 タイトルがつけられた数は、その時点で数として本来の意味を失う。色の循環と同じだ。タイトルがつけられた色は、その時点で色の本来を失う。数に一点を示させることなど、本来できはしない。何から始めよう。そう思ったとき、本来、自分の隣には何もない。自分は循環の軸から上に飛び出た、宙に浮くもの。循環の中でタイトルのついたものは、軸から離れた虚数。それとして本来でないそれ。奧の世界には奧がない。奧の世界には始まりもない。でも、奧の世界の (あえて奧という言葉を使わずにいえば)向こう側には奧はない。自分が浮いていて、その下の方に、奧という軸が存在する。奧の世界を知るための奧の世界を知るための奧の世界を...... 几帳面になりすぎると、きりがないよ。こうやって俺みたいに、いつか妥協する。だって俺はそこに向かおうとしているけど、そこにつくことは絶対にできないから。細かいことの細かいことの細か....ことを追求していってしまうから。でも、奧の世界に近づくことは楽しいかもしれない。いつか道の途中にヒントが落ちているかもしれないから。それでもヒントは見つかっても、答えは見つからない。それを覚悟したなら、頑張ってみてもいい。自我から厳密でないことを許す心を奪ったら、自我はすぐ朽ちる。曖昧に、適当に、まったり、ゆったり、いけばいい。 人を嫌いになれない俺が、唯一嫌いになれる人。それは俺。俺が今本を出すならタイトルは、「人を嫌いになれない男が唯一嫌いになれた男が唯一嫌いになれた男がゆ……が書いた本」かもしれない。俺が人間は失敗作だという話をした後なら、「神は しくじった」かもしれない。(※全角スペースは大事。)ぁ、この文章、もうthinking日記じゃないからね??まぁレベルはほぼ同じ、限りなく低い。奧の世界に入ってるから0にはなれないけど…………おっかさん、俺、したくても結婚できないと思う…… 明日は部活のじしゅれ(急に現実にカムバックしたことについては触れないで)んがあるから、もう寝ようかな。トイレ行こ。そろそろメールも来なくなったし。ぁ、「そろそろメール来なくなったしトイレ行く」わけではなく…もういいよ。たぶんもうリア友誰も見てないな。ずっとさぼったし。てか最悪訪問者全員広告のまわしかもしれないな。楽天さん、すいませんね、スペースばっかとって。寂しくなってきたところで寝ます。おやすみなさい!