● 白虎隊
それにしても歴史を知らなすぎる…戊辰戦争が、明治の初めにあった。鳥羽伏見の戦いから始まって函館まで行った。くらいしか知らない。実際、その途中にいろいろあったのですね。会津で白虎隊の少年たちが自害したことは、何となく知っていたつもりだけど、「会津」という地名を、意識したのは、亡くなった父が、晩年に自伝のようなものを書いていたなかに、会津と長州は戦った間だから…というような記述があるのを見て、ほお~ 、そういえば、実家は会津と同じ県にあるんだ…などという、当たり前のことに気がついたとき、でした。 ~~~~~~~~~~~~~~~なんて、前置きでした。先週末に放映された番組を、これも録画して後から観ました。冒頭の野際陽子おばあちゃん(現代人^_^;)の、パワフルな一喝には、笑ってしまいましたが…しかし、典型的な現代の若者と、純粋無垢な、白虎隊の少年とのギャップが、激しすぎて、最後も、白虎隊のせっかくの余韻に浸りたいのに、夢から 無理やり 醒めさせられたような落ち着かない感覚に、戸惑った気もします。会津の鶴ヶ城には、二年ほど前に遊びに行ったので、あのときの展示を思い出しながら、視覚的にすぐに入っていけました。「会津のため、殿のため」といって死ぬのは、現代からは、愚直すぎて唖然とするのですが、あの時代、「生きて辱めを受けるよりは」という極限状況の中では、たしかに立派に死ぬという所しか、行くべき場所はなかったのでしょう。それにしても会津も、もう息絶え絶えという篭城中の場面で、ある若い母親が銃弾を受けて倒れた直後に、「母上! 立派に死んだ…」と、あどけない幼児の声で言わせるのは、凄すぎて、 絶句!! でありました。殿の松平容保に 降伏を勧めた西郷頼母の、奥さんや妹など、20名ほどの一家が、幼児もろともに自害する場面も 壮絶でした。立派に死ぬということは、現在 立派に生きると、解釈し直さなければ、考えようもないでしょう。ある瞬間を切り取っても、日頃の品性が、現れるように、生涯の重要場面とか、 最後とか、 最期とか、やはり、その人の日頃が出るのでしょう。う~ん。日頃。 日頃。日頃、おそるべし。~~~~~~~~~~~~~~~出身地ということを 普段 あまり考えないのですが、そういえば、会津は長州と闘ったのでした。薩摩も長州も、新しい日本を作るために、優れた人材を輩出した!! というイメージが、定着していますが、会津戦争の後も 冷遇され、人から賞賛されることもなかったであろう 会津の人々の、地味で 不器用で 愚直な生き方に、ひそかに拍手してしまうのも、やはり、身びいきなのでしょうか・・・――――――――――――――――――【本日の同音異義語の驚き(o^^o)】 合図と聴衆は戦ったのです。――――――――――――――――――