カテゴリ:●病院
駅の改札を出て、坂道を登ると上町に出る。この町は、ところどころに看板建築と呼ばれる店舗が残り、今でも懐かしい趣の商店街になっている。その長い商店街を真っ直ぐ歩いていくと、途中道が「への字」に曲がったところがあり、角には大きなコッペパンが名物のパン屋がある。その横の細い路地を入ったところに、その病院はあった。建物の外観は塗りなおされ比較的新しいものの見えるが、実は昭和40年代の建物らしい。それ以前は、近くに立っていた陸軍病院の別館だったようだ。だから今でも戦時中には遺体置き場があったなどという噂する患者もいた。
院内に入ると、ロビーがあり左の廊下を行くと2階から病棟になっている。病棟は一直線の長い廊下になっていて、まるで艦船の廊下のように配管がむき出しになっていろ。硬直した蛇のように伸びる配管には、舵輪状の赤いハンドルまで付いている。病室の廊下側の窓は木枠で高い位置にある。そこについている鍵が小さなねじ込み式の昔のもので、これまた時代を感じる。左右非対称の面積を持つ両開きの重たいドアの上にも木枠の細長い窓があり、長い棒のようなもので開けるようになっている。こちらのロック方法は閂を凹部分に落とすことで鍵がかかる仕組みになっている。普段からこの細長い窓は開いた状態なので、注意して見ないと見落としてしまう。だが、さすがに外に面した窓はサッシになっている。ガラス窓の外側には網戸が張ってあり、サッシのガラス窓も少ししか開けることができないよう、固定されていた。これらの鍵などの仕掛けは年代を感じ、懐古的なものが好きな自分にとってはうれしいものだった。 病室が左右に並ぶ長い廊下は、看護師さんに長さを訊いたらわからないと言う。ならばと自分で歩いてみると約110歩。100メートルくらいの長さだった。東西両端には非常階段があり、ナースセンターとエレベータは中心にある。廊下を挟んだ左右の病室は非対称で、北側の病室は4人部屋が並ぶが、南側は4人部屋の半分の床面積の個室などが並んでいた。ナースセンターの近くにある浴室内も配管がむき出しになっている。脱衣スペースには棚が並んでいて、マットが敷かれていて滑らないようになっている。床はタイル張りで、なだらかな斜面になっていて、浴槽の中もタイルで造られている。浴槽には手摺付きの梯子が設置されていて、安全性が考慮されていた。洗い場の壁には裏に塗った水銀が剥がれてしまった鏡もあり、透明なガラスになってしまっているものまである。壁のガッチリとした金属むき出しの配管と自由なカーブを描くシャワーのホースの対比がおもしろい。 食事時間になると、廊下から動力の音が聞こえてくる。患者たちの食事を運ぶため電動式の車輪付きコンテナみたいなものが発する音だ。左右は透明アクリル製で、それが扉にもなっている。そのコンテナ車に患者の食事トレーが数段積まれている。トレーには各名前の書かれたカードが置かれているが、一度だけ僕の分が違う患者のテーブルに置かれてしまったことがあった。「JINさん、お食事です」と名前を言いながら、向かいの人に配膳したのだった。看護師さんはすぐに間違いに気が付いたが、やっぱり何か間違える時は人間の手によるものだなぁと改めて学習。この電動コンテナ車も興味があったので、廊下に出てしげしげと観察していたら、看護師さんが説明してくれたのだった。前後の人が一方向に同時に押したり引いたりすると、動力がかかり動くらしい。試しにちょっと押してみると動かない。安全性を考慮した優れものである。この電動コンテナを各階に運ぶために専用のエレベーターがあり、そこは立ち入り禁止区域になっていた。 こうやって入院時に観察したことを書いていると、古い建物の病院はミステリっぽい雰囲気があり何か良い感じでしょ。それにミステリは怪しい雰囲気がなくちゃと思う自分にとっては、想像力を刺激してくれる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Sep 14, 2010 08:54:05 PM
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