テーマ:メンタルヘルスケア(13)
カテゴリ:メンタル
「不登校」”school refusal”が大きく社会問題化されて10年過ぎた。
アメリカでは「学校恐怖症」“school phobia”と記載があるらしい。 日本は、1960年代にも一時目立ったが、1980年代は低下傾向を示し、再び1990年代に入って急増している。 1950年代後半~1970年頃 児童精神科医たちによる病理としての問題 1970年代後半~1980年代半ば 専門家以外の取り組み 1980年代半ば~1990年代半ば フリースクールなどの登場 1990年代半ば~現在 ホームエデュケーションの広がり(自宅学習) アメリカ、1950年代後半~1970年頃は、神経症や精神障害が不登校の原因として、臨床心理の専門家たちが治療にあたっていた。 さて、1968年、私が小学校1年生であるが、クラスに一人だけ「登校拒否」”school refusal”あるいは「不登校」”school absentee”とよばれる状態の児童がいた。 いま、文部省は一応「学校ぎらい」を理由にして、年間50日以上学校を欠席するような児童・生徒の状態を指している。これに対して法務省は「何らかの心理的さらに環境的な要因によって登校しないか、登校したくてもできない状態」と定義している。 その児童がどちらの「定義」にあてはまっていたのか。 さて、1971年、私が小学校4年生である。その私は、文部省の定義にあてはめると、年間50日以上学校を欠席していた。 「理由」対処に面倒なクラスメートを避けるため。(私の所持品を盗む、隠す) 自分の時間を割いてまで、そのクラスメートとの”やりとり”が面倒であったこと。 つまり、クラスメートをたしなめたり、返却を求めたりする”交渉”が面倒なのだ。 その理由を母に話すまでは、かなり時間がかかった。 まず、彼・彼女らはいじめではなく、単なる”からかい”と”羨望”だったからだ。 その”からかい”と”羨望”という表現を、どのように話せば、誤解なく伝わるのかがわからない。服、文房具などを含めて、皆と違うモノを身に着けていたことが興味・関心の的になる。しかし、「皆と同じもの」も、自分の性質上ちょっと困る。そういった複雑な事柄を巧く伝えられない。 要するに「休む」ことが自分にとって「解決」の方法であった。 その後、父の転勤で、解決したような・・・ それからは大学を卒業するまで、普通に登校するようになる。(大学はサボリを覚え、もちろん遊んでいましたよ) ただ、私の中学時代は、「いじめ」が流行だったので、無視、はずしなどは、「洗礼」されたが、それは、私だけではなく、順次クラスの一人一人が受ける洗礼である。 そういった時は、屈せず登校していた。 それが“すかした奴”という印象を与え、相手が少しエスカレートしそうになったが、次の洗礼者へ移っていく。(いまでも第一印象は“すかした奴”であるらしい。) ※講義の時間なので失礼します。まだ続きます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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