アウェアネス
コメントを読んでいると、本文掲載記事から、それぞれが自分でコメントを書き、御自身でその回答をしている「アウェアネス(気づき)」を体験しているように思われる。つまり、ご自身の経験に「アウェアネス(気づき)」から自分で答えを発見しているということ。・アヤ・エイジアさんのコメントどんな幸せな環境にいても「自分はたった一人」という「脳」をもつ人たち。・・・・・それは、「澄みきった」暗闇なのか、わからないけれど、そういう「自分はたった一人」という状況を愛する人も、苦しむ人もいるのでしょうね。(Jun 9, 2005 03:40:33 PM)・石田雨竜さんのコメント 今週号の主人公「一護」をみて、「誰かを救えたことが彼自身を救った」と感じました。・・・・・「澄み切った孤独」で生きているのが石田雨竜です。(Jun 9, 2005 04:17:45 PM)・シカマルさん のコメントずーっと閉じこもっていた時期があるが、「引きこもり」と意識したことがない。まわりは思っていたのかな。「少年ジャンプ」の漫画のコメント引用が目立ったので、我愛羅も紹介したい。物心がついた時から「自分の存在価値」を求め、いま意識を失いながらも、「自分の存在価値」を考える。我愛羅が登場するたびに、社会にどれほど我愛羅がいるのかと思う。一度読んでほしい「NARUTO」の我愛羅。(Jun 9, 2005 06:15:26 PM)・おしゃれさんのコメントからHINOKIOが主人公なのかサトルが主人公なのか、題名からするとHINOKIOなのでしょうが、もし、私がサトルだったら、HINOKIOに嫉妬するかもしれない。だって、サトルが操作していても、体験するのはHINOKIOでしょ。・地球人さん ・・・・・「人」を天に置かずという意味の「地球人」と自分は受け取りました。犬もネコも、子供のおもちゃも「こころ」がある。だから、おもちゃやお人形も地球人だ。(Jun 8, 2005 08:47:10 PM)・ひきこもりさん HINOKIOはいらない。もう一人の自分の面倒をみる余裕がない。(Jun 8, 2005 08:03:23 PM)・ピノキオさん ・・・・・童話「ピノキオ」、映画「IT」では人間に執着するけれど、「地球人」ではなく、結局「存在価値」が「人」なんでしょうね。(Jun 8, 2005 07:30:08 PM)・自宅勤務さん 自宅勤務という配慮のもとに、人、仕事からの煩わしと集団のなかの孤独感から解放されたが、アラン・シリトーの「長距離ランナーの孤独」のように、ただ一人レースを走りぬく孤独感が・・・結局、自分ってわがままなのかな。(Jun 9, 2005 01:36:59 PM)・「朝日と日経とってます」さんHINOKIOとは、・・・・・なぜか「消耗品」として誕生させられた気がするのは自分だけ?(Jun 9, 2005 12:16:00 AM)ひきこもりとHINOKIO のコメントから※全文掲載はしていません。誰かに、アドバイスや意見を求めているのではなく、書くことによって、自分の気持ちや意思、状況を確認している。あえて、お一人ずつコメントのお返事をしませんでした。なによりも、私の投稿記事より、「経験」や「ココロ」の声なので、このブログにアクセスしてくださった方にも、じっくり読んでほしいなーと思う。これらのコメントは、ご本人自身がそのコメントと自分との対話をしていることが、わたしを刺激します。アウェアネスって何か、どうしてアウェアネスなのか。自分との関係に重きをおくゲシュタルト・アウェアネス・プラクティス(手法)や存在感、実在感や臨場感等の「アウェアネス」(気付き)というグループウェア環境を構築など、アウェアネスは、個人から団体、ナレッジマネジメントにも及び、ワークもさまざまである。私が、「アウェアネス」のなかでもライヒやゲシュタルト療法のパールズなどにも大きな影響を与えた「センサリー・アウェアネス」をメンタルヘルスというカテゴリーでTOPICしている。つまり、今ここにある自分がどのように感じ、振る舞い、存在しているかを自由に軽やかな好奇心をもって探るワークと考えていただきたい。センサリー・アウェアネス「気づき」ー自己・からだ・環境との豊かなかかわり著者:チャールズ・V・W・ブルックス/伊東博「感覚、からだ、ムーブメント、呼吸、重力・人間・環境とのかかわり、といった人間の基本的な条件を、具体的な実習をとおして体験で学ぶ。カウンセリング、心理療法、教育、体育、ダンス、演劇、瞑想などに新しい光を投ずる。日本の禅を、日常生活に生かしているものともいえよう。」 (あとがき)それで、思ったのが、コメントの「書く」という作業は、キーボードを叩きながらという「刺激」がある。そこに「読む」「考える」「書き込みする」という一連から、自分に向き合っているのだと思うと、とても貴重なものだ。これからのカウンセリングや心理療法の方向に対しても取り入れられているボディワークは、「指先」からも味わうことが出来るのではないだろうか。「今ここにある自分がどのように感じ、振る舞い、存在しているかを自由に軽やかな好奇心をもって探る」というその答えがコメントにある。「もし壊れているなら、直さない・・・」エサレン研究所の講師、クリスティン・プライスの「ゲシュタルト・アウェアネス・プラクティス」のメッセージである。つまり「ありのままの自分」ではなく、「いま、あるがままに」という状況を受け入れ、なんらかの機会であるとういう意味への方向転換なのではないだろうか。