カテゴリ:私的美意識
子供は無限だ。だからこそ、大人がどうとでもできる恐さもあるのだろう。
友人と水泳談義をした。泳ぎは一度覚えると歩くのと同じで一生忘れるものではない。 それだけに、いかに最初に綺麗な泳ぎを覚えるか、だと思う。 私は若い頃、色んなスポーツをやった。全てイメージトレーニングがキーだったように思う。 そのイメージはどうやったらできるか!? 少なくても人は記憶をたどるだろう。記憶とは経験したものが蘇る。 その時、まず思い浮かべるのはお手本。お手本が本物でなければならないのはそこだ。 スタート位置が設定されるわけだから、おそまつなお手本など無用の長物となろう。 例えば、医者は病気、つまり健康体から逸脱した個体を改善もしくは維持させるのが技術を持つ。 逸脱した値とは正常値から外れていると言うことで。 医者は逸脱を見抜くために最低限「正常」を知っている必要がある。 正常を熟知していて初めて逸脱がわかる。 また話しが横道にそれるが、、、 「正常」とは、何か?正常って何?と聞かれたら、何と答えますか? 「正常値」というのは、人間が作り上げた定義にすぎないのです。 できるだけ多くのデータを取り、そこから(ものすごく単純化して言うと)平均値を出したもの。 つまり、標準化した値を正常値としているのだ。 極論で言えば、可変的であり、そんなものあてにならない。野生種は個体差が大きいのが常である。 6才の子供はこれくらいのことができる、などと成長の目安が発表されているが、それがどうした?と言うことは結構皆が思うことではないだろうか。 ならば、その基準をどこに設定するか? 子供こそが可変であり、無限の吸収力をもっている。 本物を見抜く力が親のレベルで崩れている現状が、”人が普通に生きること”を妨げているのかもしれない。。 そこには必ず、物質的要因が精神的なものへ大きく影響を及ぼしていると思われる。 これは人間の本能(保存されたプログラム)ではないと思うのに、なぜ打ち砕けないのだろう。 小さな力が大きな波になるのを待つしかないのか。マスでは難しい問題なのか・・・ 難しいならばそこにとどまってはいられない。 小さな波を作ってみたい。 先人が成し得た業績を土台に続けるのが効率良いではないか。その土台(スタート)をどんなものにするかは親のセンスであると思う。”本物”を決めるのも親のセンスだから。決めるためのバックグラウンドを充実させたい。 ■やりたいことのために・・・ 準備品リストを作製しようとカタログを並べてチェック。 意外とかかるなぁ。。。 必ず使いたい物だけでも揃えなくては! ■ちょっとした発見 バーチャルな世界にしばらくいると、本物が見えなくなることがある。自分の常識がおかしいような気がしてくる。 たまには自分を見つめ直して軌道修正が必要な世の中かもしれない。 ・・・自分に自信がないせいか。揺らぎの多い自分がもどかしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.02.02 15:20:06
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