カテゴリ:自分のこと
子供は日々成長しているなぁ、と感じること。1日に何度もそんな気分を味わうこの頃。
ちょうど今の年齢が大きく成長する時なのだろう。 0才の時の成長、そして、3才の時の成長。 0~3才の成長は本当にすごいものがある。我が子は天才か!?と思うのもこの時期か(笑)。 ばか親にどっぷりと浸るのも、いとおかし。 プロフィールにも書いたけど、ずっと研究をしてきた。ずっとと言っても、実際に研究まがいをさせてもらえるようになってからまだ10余年。その前はこれまた修行期間だった。 でも、研究者を目指してからは長い。小学校の卒業文集にはすでにその文字がある。 記憶が定かではないけど、(当時まだ希有だった)中学受験を自ら志願したのも確かそのためだった。 その頃から大学院まで進まねばならないことを覚悟していた記憶がある。覚悟というよりは夢みてわくわく♪、かな。 まだまだ漠然としていて、イメージもわかなかったけど、とにかくいっぱい勉強しなくてはならないことはわかっていた。 と、言っても当時は勉強がすごく好きだった。今思えばおかしいかも。。。 何というか、自分に知らないことがあることがイヤだった。 それは、勉強面だけではなく、スポーツにしても芸術にしても同じで、できないことがあるのがイヤだった。 だから、当時習い事は週に8つはしていたと思うけど、しんどかったことなどなかった。まだまだ足りなかった。 がんがん前だけを見ていた時期だったのだろうなぁ。 高校でふと我に返り、後ろをふり返った途端、しんどくなった。 しばらく低迷期。 あぁ、この感覚、陸上で短距離走で味わったことがある。 100mくらい走るのに息はしない。たかだか10数秒だもの、当然と言えば当然かもしれない。 が、記録が伸びている時はそんなこと考えもしない。 あるオリンピック選手が子供を指導している映像から耳にしたのだった。 そう言えば、と記録が伸びなくなったときのことが思い出された。 いろいろ考えるようになっていた。 前を見ているだけではなく、隣を気にしながら走るようになっていた。 そうして、記録は限界を迎えたのだった。限界だと思った。他にしたいこともできたので、やめた。 息をしてしまった自分がいたのだろう。後ろをふり返ってしまった自分がいたのだろう。 イメージを目一杯頭におきながら、イメージの中の自分の集中力をピークにもってゆく、そのタイミングに合わせてスタートを迎える。何だろう、ぎゅうぎゅうと頭をしぼっていくそんな感じ。そんな時はガツンと記録が出る。 少しでも下界の声が聞こえたら、糸が切れたたこのようになってしまう。やり直す時間は、ない。10数秒の本番のために練習中からその1本に気を高めてゆく。それがいわゆる調整。走る3時間前に食べるのは必ずお餅とバナナだった。綿密な計画とイメージ、集中。どれが欠けても10秒がもたない。 限界を感じてから今まで封印された記憶だった。ここにきて思い出す。 子供は感動すれば必ずぐんと大きく育つ。 それと同時に、自分である物を乗り越える瞬間の、ある気持ち・・・それを経験すれば、きっと霧が晴れるかのように目の前は開ける。真剣に取り組めば必ず開ける。大人の踏み込めない領域だ。自ら、でないと経験できない感覚。。。 ある日突然今までできなかったものができるようになる。 ただ、こんな理屈子供が知る必要はない。むしろ必要悪だとも思う。 でも、現世の中では機会があまりにも少なくて難しいかもしれないと思い始めた。 だからFacilitatorになりたい、子供の持てる力を引き出す親でいたい、そう思うようになってから思い出した話しだった。 昨日、長年お世話になってきた園長先生に来年のことをお話しした。 すでに帰宅していた担任には、その場で電話して伝えて下さったもよう。 朝行ったら、いつもと空気が違った。。。 おかしなもので、太郎は朝から変だった。もう保育園には行きたいくない~。 突然そんなことを言う。しかも仮病まで勃発。風邪引いて具合悪いから保育園にはいけない、と。 まぁ、無理無理連れて行ったのだけど、、、私のコートをひっぱって離れなかった。 子供を見つめてゆきたいと思う先には、この世を見つめる自分というものがいるのだ。だからこそ、”私はやりたいことがある”なのだとの思いに気付く今日。 ■やりたいことのために・・・ (めずらしく朝日記を書いたので、必ずしなくては!との意気込みでつづっておこう) 予算を決めて、必要な物を買うための作業を今日中にし終える。 そして、明日には発注。 いよいよ始動!現実味を帯びてきた。かな? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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