テーマ:子供に与えたいもの(16)
カテゴリ:夢のこと
出会いは必然。
いつもそう思う。 それから、継続は力、ここでもこのキーワード(笑)。 今日はものすごく珍しく、夫が私を呼んだ。 #えぇ、めっちゃ珍しいんです。子供のこと以外で呼ばれること。 面白そうなTVやってるよ! って、昼間っからTVかいっ!?と思いつつ、暇だったので行ってみた。 ら、懐かしい顔。 毛利衛さん(日本科学未来館)。 その昔、私は宇宙飛行士になりたかった。 でも、虫歯だらけだし、体も強い方ではないし。。 何年かかかって諦めて、ロケットや宇宙ロボットを開発するチームに入りたくなった。 でも、大学で落ちた(苦笑)。 やっぱり夢を二股かけるとあまりよろしくないようで・・・ 浪人して某大へ。 神様は私に生命科学の道をお勧め下さったようだった。そして、今の私がいる。 大学に入っても未練はたらたらありまくり、宇宙生物学なんて(当時は)変ちくりんな学問をやりたいと言う私に教授陣は笑い飛ばすしまつ。 そりゃそうだ。 何たって所属していたのは獣医学科。しかも臨床系の研究室。 宇宙生物学なんて言葉すら知らない教授も中にはいたくらいだ。 そんな折り、他学部へ口を利いて下さった奇特な先生もいて(何だかんだって派閥だったのだな・・・)、晴れて宇宙生物学分野で卒論のテーマが持てることとあいなった。 でも、当然大学内では難しい問題もあり、外研へ。 そこで、私は彼の毛利さんと同じプロジェクトに参加することとなった。 チームの中に毛利さんの名前を見つけたときはそれはそれはときめいた(笑)。 当時、まだ毛利さんはまだ地球の人だった(笑)。 何と10年も延びに延びたそのプロジェクトは私にはものすごくラッキーなスケジュールで、毛利さんの乗ったスペースシャトルで実験することができた。 当時所属していた某大に帰還した毛利さんが講師としていらしたことがある。 実は、同じプロジェクトと言っても間近で見たのはこれが最初(^^;; そんなご縁もあり、少しばかりお話しもできた幸運の一時。 あまりディープなお話しもできないくらいの時間しかなかったけど、そんな感動は一言一句鮮明に記憶に残す。 私は宇宙に行ったせいで、研究者ではなくなり、講師になってしまった。 その私がこの頃よく思うのは、みんな”教師”を勘違いしている。 何でも知っているのが学校の先生だと思っている。 それは、ありえない。 何でも知っているなら研究者の方が知っているし、現場の人の方が知っている。 教師は絶対に研究者にはなれない。 教師の役割は子供達が考える機会や方法を示すことだ。答えてはいけない、教えてはいけない。 この言葉を昨日またTVで聞くことができた。また胸に響いた。 いろいろ経験してきた今、私も深くうなづく。同感だ。 でも、40人学級ではこれは遂行できないこともわかる。 そこで思い描く私の科学教室。 「身近な科学」「台所には科学がいっぱいつまっている」 結びの言葉に同じキーワードを見つけ、今度は勇気をいただいた。 研究テーマは一貫していなかったかもしれない。研究の内容を途中で変更もした。回り道して来たように思う。 でも、私の哲学は一つの物を求めてずっと進行形なのだろう。 ■やりたいことのために・・・ 資金繰りにちょびっと光がさしています。審査合格内定のお言葉をいただき、追加書類を作成中♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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