テーマ:心の病(7246)
カテゴリ:思考の濁流
最近、時間がたったせいか、過労で倒れる寸前、倒れて復職してからも、 ちゃんと、自分の職種の自分の仕事をしていたときのことを、懐かしく思い出すようになった。 確かに、やりすぎだったと思う。 後輩は、まだ社会人としてもこなれてない新人で、それも、お嬢さん育ちだったから、 仕事への態度、責任感も、みっちり教育しなくてはいけなかった。 このコは、しょっちゅう、仕事でヘマしたり、大事なイベントの日に休んだり、、、 それでも、一緒にやっていかなくてはならなくて、大変だった。とても大変だった。 でも、今日、クリニックの螺旋を描いた美しい階段を下りながら、 ふと、 あの頃は、楽しかったなぁ。。。と思った。 充実していて、輝いていたなぁ。。。とも、思った。 1日8時間、フルにかかる、、、残業も当たり前の日常業務をこなしながら、 さらに、いくつも、プロジェクトを平行させながら動かしていて(もちろんサービス残業)、 2ヶ月に1回は、県内外の研修に出かけ、週に1度は他院の勉強会に出席していた。 月1回ペースで患者会のボランティアに参加して、 県の士会の係を引き受けて。 院内の勉強会を主催して、週1で3ヶ月やったこともあった。 院内での失語症の患者会を作ろうと、もがいてもいた。 月1回の、外来失語症者全員を対象としたグループ訓練で、素地ができつつあった。 県で初めての、嚥下機能の検査を始め、これも、もがきながら、ほぼ十分なカタチにした。 全く無かった嚥下用の食事も、栄養士さんと一緒に開発して、 コンピュータで管理されているシステムにも載せ、 院内全体(医師・看護師・介護士)に普及させた。 嚥下障害の看護も、勉強会の甲斐あって普及した。 他のスタッフが、みんな若くて経験が浅かったので、 部署全体のカタチ作り、、、も、自ずとしなきゃならなかった。 所属部署の運営のカタチづくりに、影から日向から、細かいことを実現させていった。 ミーティングとか勉強会とか、情報のファイリングとか共有とか、研究会の立ち上げとか、 そんなことのフォローにも追われた。 とにかく、部署のお姉さん役だった。。。スタッフからの相談も多かった。 その他もろもろの細かいことの改善、PCのメンテや タオルが無いとか、タオルケットや枕が足りないとか、 PCが必要だとか、年賀状を出さなきゃとか。予約のシステムを作らなきゃとか。 (そんなことも、予算予算で、なかなかとおらない。。。とおるときは簡単なのに。) いつも、誰かが困ったときは呼ばれ、上司に進言するのもわたしだったから、煙たがられた。 それでも、いつも、1~2年後には、 そ知らぬ顔で、わたしが進言したことを自分から言い出すような上司だった。 まぁ、そんなことには、かまってられなかったけれど。 5年間、突っ走った。 お昼休みもほとんど無くて、もちろん業務中は、1分の休みも無くて、 帰宅は早くて0時、遅くて2時か3時。 1日4時間睡眠がとれれば良い方で、毎日、頭痛薬と風邪薬とお友だちだった。 月に1日も休みの無い頃もあり、 それではいけないと、月に2日は休むようにして、休養をとっているつもりだった。 結果、倒れて、 直属の上司から病院のトップまで、3人の上司の凄まじいパワハラにあい、 1から教育した後輩が、まだ経験3年目なのに、わたしの上司になり(パワハラのひとつ)。 心無い別の上司の、朝のたった一言で、 好きでやっていた仕事、好きだったスタッフ、好きだった病院を、夕方には 手放した。 これからも、どこかへ、流れていくのだろう。 でも、あの経験は、宝物として、とっておこうと思うようになった。。。 Blogならclick! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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