テーマ:心の病(7246)
カテゴリ:淋しさ
わたしは、自分のことが認識できないときに、他人に反射させて、認知することがある、 あった。 最近は、少なくなっている。 淋しさ、、、心を締め付ける淋しさ、、、どこから来ているのか。考えてみた。 他人がそばに居てほしい、関わって欲しい、というのが、淋しさ。 他人を求めている。 何故か。 承認が欲しいのだと、気がついた。 あなたは、あなたでいいんだよ、今のあなたで、間違っていないよ、という承認。 わたしは、わたしでいいのかわからない、今のわたしが間違っているかどうか、わからない。 だから、承認を求めたい、淋しい、につながっているのだと、わかった。 これも、また、つまらないことをしながら気がついたこと。 風呂場の電気を消していた時に、気づいたんじゃなかったっけ。 自分への承認、自分を受け入れること、が、できないから、淋しいのだ。 今のわたしの、足りないところ、良いところ、は、アタマではわかっている。 けれど、足りないところを考えるとき、存在の全否定になってしまっているようなのだ。 全否定は、絶対に間違っていることは、わかる。 足りないところも、良いところも、含めて、わたしを認識して、大きく俯瞰して認識して、 静かに、受け入れられれば、淋しくなくなる気がした。 他人を必要としない、自己受容。 ベクトルは、そこに向けよう。 Blogならclick! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008年05月05日 23時02分24秒
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