欲望のコントロールは「他者」との「間」のとり方がカギ!
「今日のメシ また鍋奉行 暖まる」^^~ 「みぞれ降る ダッシュで帰宅 一目散 渋滞嫌や コリテまんねん」(>・) 「早よ着いた 体が楽だ また載せよ」^^ 「欲しいMono 熱い情熱 あったらな あふれんほどに フツとたぎらせ」 「欲しいMono 過去世がみえる 眼がほしい 過去世に何を? 興味深々」~>・) 「欲しいMono 鋭い感性 わて欲しい アンテナ立てて 研ぎ澄ま見る」~ 「先を見る 鋭い洞察 感絞る」 「欲しいMono 日々の充実 すべてヤワ」^^ 「guuの日記の1・29~1・30~1・31の続きデス」 <SGI会長I氏による1・26「SGIの日」記念提言 「人間主義」輝く地球文明の地平を! <他者を見失った社会> 「近年の事件にみられる特徴」 問題は「個人」にある~その辺をきちんと踏まえていかないと、「大状況」の閉塞感に 風穴を 開けていくことは できないと思います。 昨今、我々の周囲の「小状況」から、"信じられない出来事″"訳の分からない事件”といった 予測不可能な事態を嘆く声が、しばしば聞かれます。従来の常識の射程では捉えきれない、異常な事件に遭遇した時、人々は この嘆声を発する。 人と人との間で 成り立つのが人間である とすれば、「裸形の個人」に「間」は存在しません。「間」がないから、彼には「他者」が存在しない。「他者」との「間」のとり方で可能となる、欲望のコントロールもきかなくなる。 日本中を震撼させた神戸市の「少年A」事件以来の少年(少女)犯罪を分析した柳田邦男氏は、独特の抑制のきいた口調で、こう述べています。 「真の原因を 現時点で突き止めるのは困難だが、究極の原因に 極めて近い所にあると 思える問題は、凶悪事件を起こした少年(少女)の ほとんどが、他者の痛みを 思ってもみない 完璧なまでの 自己中心の精神構造になっている ということだ」と。(「壊れる日本人」新潮社) 「小状況」に漂う 得体の知れぬ不安感、不気味さの多くは、こうしたところに 起因するのではないでしょうか。 そこには、犯罪の今日的な特徴というべきものが 浮き彫りにされているようです。 (次回は 上記の特徴を 際立たせるために 対照的な ドストエフスキーの 自ら4年にわたる 流刑の地 シベリアでの 獄中体験の 秀逸なリポタージュ「死の家の記録」~より ご期待を!!^^)