カテゴリ:ことばのこと。
ということばですが、この読みを表記するとき、どう書きますか? 「いなづま」「いなずま」 どちらを書かれるでしょうか。 私が小学生の頃は「いなづま」と学習しました。 「稲」+「妻」という熟語の作りなので、「つま」が濁音化して「づま」。 しかし、私が高校生くらいだったか、 「づ」表記を「ず」表記に統一する動きが強まりました。 広辞苑第5版に、「いなづま」は載っていません。 稲妻やその複合語は、すべて 「いなずま」の欄に載っています。 私は「いなづま」と小学校で習ったので 「いなずま」という表記には強い違和感を覚えてしまいます。 40代以上の方で、「いたずら」を「いたづら」と書く人をかなり見かけます。 私の「いなづま」もその方の「いたづら」も 今のことばの決まりでは間違いなのかもしれませんが 自分の中では「生きたことば」です。 カトウさんという人が、自作の詩の文句を「推す」にすべきか「敲く」にすべきか悩んだ故事から 推敲ということばができたとされていますが、 推敲と同じ意味で、「推考」という漢字も以前は使っていました。 現在、一般的な辞書で「推考」は、 「事の道理や事情などを推測して考えること。」 (『Yahoo!辞書』より) という意味になっています。 けれど「推考」ということばが、「いなづま」や「いたづら」と同じように 自分の中で生きたことばである人も、少なからずいるのだと思います。 これから「稲妻」や「推敲」ということばを学習する子どもたちには 「いなずま」「推敲」が正しいと私は教えるでしょう。 もしも漢字テストで「いなづま」「推考」と書かれたら、減点するでしょう。 ただ、「いなづま」「推考」と習った人に対して、それを訂正する気にはなれません。 今は「いなずま」「推敲」になっているのだという情報は伝えるかもしれません。 けれど「いなづま」「推考」ということばがその人の中で生きているなら それを「間違いだ」とは私には言えません。 国語辞書というのは、正しいと認められている用法で現在使われていることばを整理したものだと思っています。 辞書に載るという点だけを考えるなら、辞書には情況というものが書きづらいので 例えばベタな例ですが、女の子が恋人に、笑いながら「もぅ、大嫌い!」と言っても その「大嫌い」が「大好き」という意味であることは、辞書には載りません。 むしろそんなことを載せていたら、きりがありません。 また、この「大嫌い」は「正しい用法」とは言えないのかもしれません。 けれどこの使い方は実際、私たちの中で確かに生きています。 「ず」と「づ」の仮名遣いから少し視点を変えて、最近よく目にすることばです。 【確信犯】 「正しい」とされている意味は、 道徳的、宗教的または政治的信念に基づき、本人が正当な行為と確信してなされる犯罪。 思想犯・政治犯・国事犯など。(『Yahoo!辞書』より) というものです。しかしこれが最近、 「それが悪いことであると確信しながらも、その行動を取った犯人・犯罪」 例文を挙げれば、「悪事であるとわかっていながらの、確信犯的犯行である」というように使われているのをよく目にします。 この使い方は、現在では誤りだとされています。 けれど、この誤用の例は多く用いられることによって、そのうち正しい使い方になっていくと私は思っています。 逆に、「おどろく」のように、古語では「目が覚める/驚く」という複数の意味があったものでも、 「目が覚める」という用法が落ちていって、現在「驚く」という意味だけ残っていることばもあり、 これからもそういうことばはたくさん出てくるのだと思います。 そんなことを考えていると、「正しい」って何だろう???と悩んでしまいます。 テストで「いなずま」は正しい。 けれど少し前までは「いなづま」が正しかった。 国語のテストでは「いなづま」は減点にするでしょう。 でも「いなづま」と習った人が使うとき、それを間違いだとは言えない。 何やら意味不明日記ですみません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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