プライド
こんばんわ、アキラです。私がふと思ったことを書かせて頂きます。それがいいとか悪いとかの話ではないですが…ごく普通に耳にしたり口にする言葉で「プライド」という言葉?単語?がありますが、日本語に直訳すると「自尊心」とか言う意味らしいですが、日本人でありながら「自尊心」という表現よりも「プライド」といった表現の方が今の時代わかりやすいのかもしれませんが…私はくどいようですが競馬を始めて今ちょうど4か月くらいになるのですが、今まで競馬の買い方をわからないこともあり二転三転してきました。何故か…素人の私にはたいした意味はありません。ただ勝ちたいだけでした。100円でもいい、200円でもいい、勝ち越したかった。また同じ負けるにも100円でも200円でも負けは少なくしたかった…そんな思いで今日に至るまで競馬を楽しんできました。私の働いている会社では中のいい先輩や上司の中に競馬好きな人もいて、それでいて気も合ういい人もそれなりにいます。休み時間とかでいろいろ競馬話に花が咲きます。これもまた私の楽しみのひとつでもあります。20年も30年も競馬をやってこられた大先輩の話もけっこう聞きごたえがあるものなんです。そんな会話の中で私もずるいのかもしれませんが、長年の中で知ったことや築いた話をタダでなんのためらいもなく聞かせてもらえるわけですから、聴いた話の中で「いい部分」を盗ませて頂いております。本当にありがたい話です。そういう中で私が感じたことは、本題に戻りますが、そういった長い時間を競馬に費やした方々にはある捨てられないパターンや、また過去の栄光や…そういうものがにじんで聞こえるのもまた事実なんです。それは競馬と言うものと長く付き合ってきた方のある種「プライド」のようなものなのかもしれません。タダ私が思うのは「プライド」とは人として生きてゆく中で必要なものであると思う反面、人生を後押ししてくれることがある反面、時として邪魔になったりするものでもあったりするんではと思ったりもします。「競馬」ということひとつをとらえてみても、それが言えるんじゃないのかなと思っても見ました。だめなときはだめで仕方がないのですが、同じやり方では同じ結果しか出ないし、変な思い込みはさらに悪い方向へと答えを導かれたりもします。私自身、こんなことを書きつつも本当はそんな強い人間ではありません、そしてその「プライド」に身を任せることもありすぎます。しかし、プライドがいけないのではなくてプライドは変えることができるかもしれないと…一昨日のレースでそれを感じました。殻にこもっているのがいいか、それとも冒険をしてみるのがいいのか…何がいいのか算数と違って答えは決まっていませんが、ふと、そんなことを思った今日の私でした。