カテゴリ:介護の手伝い
母が、兄のところにおりますが、ちょっと分かりにくい病気なので、人から見ると、たてるから、歩けそうなのですが、姿勢反射が、とても悪くなる神経の難病なのでほんのちょっとでも、ゆだんすると、後ろに、倒れます。左側の神経の伝達が出来なくなっていますから、使えるのは、右側ですが、杖が使えません。 一人での行動は、この一年間は、無理になっています。 余り一般に知られていない病気なので、座っているのは、できて、たちあがれて、あしは、前に出せるけれど介助がないとたっていられません。 (老眼のため大きい文字にします。ちょっとはずかしい) その自分の病状をうけ入れるのに、とても、苦労するようです、きょうは、ショートステイを 初めての場所でしているので、入所されている方と、語らいが生まれ、先に病で、悩んでいるかたから、どうやって、自分を納得させたのかを伺い、母は、言葉で表現できなかった寂しさを、言い現せるようになりました。ですから、わたしと、兄のお嫁さんが、順番で母の家で、介護をしていたときより、最近半年兄の家族がどうきょしてくれたので、体の機能は低下して少し、楽しみが減っていくけれど、一方では、増えているところがあるのにきずいてくれて、そのあとの、ショートステイでしたから、 ゆったりと、暖かく23度のところに丸一日いると、痛みが出にくいようで、気持ちが安定して、 前からいる、入所の方の仲間で、色々な語らいがあったようです。 その過程を細かく説明できれば、介護の勉強になるというものですが、今、頭がまとまりません。 維持するためのリハビリを2年つずけている間に、であった、同世代の友達と共感している間に、性格が和らいできたように思い。 娘は、自分の経験から、分かることは、色々はなしてきたつもりでしたが、 どうも私ごときレベルの悩みとは違うようで、”そうだね”っと、いってくれたことはがなかったのです。この半年母の努力と、家族(兄の)とのかんけいや、 リハビリに通っている整形外科の理学治療士のかたのいる場に集まる、人々の影響で、自分で、きが付いてくれているようです。おととい、母が、山形から出てきた、母の弟とあったことも、よかったようです。そして、今日であった他の病を抱えたかたとの語らいのなかでみずから。 いままでは、健気で、父の認知症や自分の股関節の手術などを、乗り越えてきたので、それが一つ一つは、苦しいことばかりでしたが、そのときの体験をほめてくれる仲間が出来て、他の方との関係の中で、自分をみつめているようです。 でも、困ったことはひとつあります。少し、そう思うことで、自らを納得させているのですけれど、 "そうだね、そうだね、"といっていると、涙ぐむのです。 そのとき、外国なら、 ハグハグすればいいけれど、わたしは、”じゃまたくるからね”の、言葉しか出ません。 良く考えたら、今日、朝の番組で、習ったばかりでしたが、 共感していることを表すには手を握ってあげるとよいと、テレビで、見ていたのにすっかり忘れていた。 父の介護を4年(他界して開放されたけれど)つぎに、自分の骨折で1年そして、神経の難病になって4年、 不自由になっていくけれど、精神的には、まだまだ、発展してくれているので、嬉しいのですが、油断は、できないのです。 調子がよくなると、たちあがって、歩きたくなるのですが、方向転換で、ふらつき転倒しますから、夜9時に安定剤を飲んだ後が、心配です。 ”お母さんお願いですから、立ち上がらないでください。”といったら、眼がうるうるになった。 どのように、表現すればいいのでしょうか、
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