カテゴリ:介護の手伝い
5月2日は 雨がふっていました。。。 母とのドライブは兄が頑張ってくれて ソレイユの丘に行ってきました。 車椅子の トイレや 赤ちゃんずれの お母さんの タメの トイレなど、 とても使いやすくなっていて 安心して 動けました。 私は腰痛のコルセットをつけていましたから、 大き目の服を着てましたが せっかくの記念写真が 余計に大きくうつっていたのが、 残念でした。 三浦半島の長井に あるのですが 海も相模湾が見渡せました。 晴れたときには 富士山が見えるそうなのですが この日は雨で残念。 でも人出が少ない分 道路がすいていて帰りに 母が子育てを していた場所(久里浜)へ 元の家のあった場所にいきました。 3歳までしか すんでいなかったから 知らなかったのですが、初めて自分の原点の風景を を目にしました。 母は込み入った話が 分からなくなりつつあるので 風景を見ても 言葉はすくなかったのですが。 海沿いの 町で 本当に 私は 海のそばに 2歳から3歳の間 いたんだって・・・・ だから、 イマも潮の香りが好きなんだと思いました。 若かった母から 前に聞いた話が 本当で作り話ではなかったことも分かり、 戦後まだ十数年のときに 兄の子育てをしたり、 私を病院に連れて行くために 海沿いの道路を 私をせおって 兄の手を引いて 病院にいった話を思い出し すぐそばが海なので 怖くて、 辛かったという 話が ”子供のために苦労した”と 言う意味でなく 場所が場所で、 社宅だったので そこにいなければならなかったのですが 海岸のどうろから、 7メートル入ったところでしたので、 怖かったという意味だったのだと 思いました。 どこに住んでいたか記憶が無いので。 火力発電所を作る チームに父が入っていたので 海のそばにいる必要があったのだとわかり、 新ためて、 ”台風の夜 母が 雨戸が飛ばないように たんすで窓を抑えた。 其のとき 幼い子が 2人 なので 自分ひとりで、 たんすを動かしたんですよ”と、 話していた意味が やっと分かりました。 そこに移るまでは 父の家族と暮らし そのご、核家族で転勤をしたから、 大変に感じたのかと思っていましたが、 住む環境が 風の強いところで怖かったのですが、 台風が来ると 建築の現場に父が保守のために出かけてしまうので 心細かったのだ・・・・と分かりました。 厳しい時代を乗り越えてきたのでした また、 落ち着いたら、 細かく兄から話を聞きたいと思います。 其の場所に戻ると いつも思い出さないことも 出てくるので 母の脳のためにいきましたが、 兄と 私のためにもなりました。 兄さんと行動するのは 久しぶりでした。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[介護の手伝い] カテゴリの最新記事
|
|