テーマ:ささやかな幸せ(6742)
カテゴリ:介護の手伝い
自分の事を優先させてもらい 治療(子宮筋腫)をしていたから、 体の調子は よくなってきて、 其れを昨日 分りやすい言葉で 母に説明したら パーキンソン症候群のなかの 大脳基底核変性症になっている 母でも ”其れは病院に通っていたかいが あったね”って、 言葉に出してくれた。 おとといと、昨日とお見舞いに行って様子をみていました。 今、 母が理解できる言葉は身の回りの分りやすい行動についてだけになっています。 病気の発症は、 78歳で大たい骨骨折をしたあと、左手を動かし難いと自分できずいてから 4ねんです。 この病気は患者数が余りなく データが少ないので医師も 自分の習った教科書のコピーを見せて説明してくれたとき 進行するから 2年から10年 と いわれました。 体の動きが出来為る ので いまは 車椅子で 食事に半ぶん 介助が要ります。 車椅子で 自分で運転できるのに乗りたいなどと、 左手が動かないけれど 言うようになり 兄の家庭にいて 前は動かせないことを理解していたのに いまは 認知にもなると前から言われていたけれど 病の進行とともに だいぶ進みました。 でも 考えてみれば いま 兄さんのところでひく事もなく 嚥下がおとろえてきてはいるけれど、 食事が出来ているので 色々うまくいった法なのだとじぶんで、 思いたい。 私は両親の近くに住んで トイレに行けるところまでは 母の介護に関わってきたのですが 立ち上がっても 足が動かなくなった時点で 兄さんに頼んで 兄のマンションで 母が 暮らし始めて 3年目に入りました。 2ねん私が見たから二年は兄がみるという感じになってきました。 そろそろ、 医療のこともできる 有料老人ホームに入れることに したいとのことで、 色々考えていると 一人になると 2年半前に 兄の家に移ると決まったとき ”いやだったら また実家に帰ってきて 暮らしたい”と言っていたことを おもいだし、 兄といるときは 理屈で理解できるけれど 一人になると 色々思い出して ”いやだ!”、 そのためには もう一回実家に母と一緒に暮らしたいと思ったり でも、 現実には いくらヘルパーさんにきてもらえても 夜 に 自分の 体が歩けないのを忘れて 動き出すこともある様だから、 其れを見ているのが 兄の家族でも よる交代で みているから、 私一人ではどうにもならない。 そんな思い出 うだうだ やっていると時間がどんどん進んでしまいます。 決心して ホームに入ったときに 早くなじめるようにもって良いって上げるのが 本当の親孝行かな・・・っておもったり、 10月ぐらいまで母に古い友達と あってもらい 楽しんでもらったりして 徐々に決めていくようにするしか ないのかなぁ。
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