imprintingの責任?
三つ子の魂百まで・・・なんて諺があるように、小さな頃覚えた事、最初に教わった事の印象・刷り込み(imprinting)を訂正、変更、改定・・・するのは、結構大変。それが、悪い方向へ作用すると余計にコンガラガッチャウ。着物の着付け方やコダワリのきっかけも同じかな~と思う。私の場合子供の頃から好きだった着物が、成人式の着付けの上手さで拍車がかかったかな。「こ~んなにキレイに着られて、苦しいなんて気分がいっこも無い!」それから、私の記憶にある範囲で言うなら、母親は着物で子育てをしていたし、私自身も着物で写ってる写真がわりと多いいと思う。。いつも同じウールのお対なんだけど(笑)祖母は着道楽で(食堂屋さんだったから、それくらいしか楽しみが無かったのかも)いつも着物だった。それが、すご~く羨ましかったんだ。いつか祖母のようにキレイに着付けて過ごしたい。これがキッカケなのかもしれないな。・・・で、着付け教室へ通う。初めて「教わって着付け」をするので、そこで習う事は絶対正しい!って思っちゃう(笑)今まで自己流で出来てた事なのに、習った事が正しい気がしちゃうってイヤね~。(衿の抜き加減とか、裾の長さとかが教室によって特徴でますよね)祖母のゆったりキレイな着付けに近づいたように見えて、ちょっと離れちゃったから今は着付け教室のimprintingを引き算して、自分なりの着姿の研究中。なんでもそうなんだけれど、「四角い頭を丸く」しないと発展しないなぁって日々反省。だって、コレが絶対正しい。なんて無い。色んなことを吸収しないと駄目かなぁ・・・なんて言いながら、わたし頭堅くって(笑)お洒落に引き算は必要だ!頑張らないとね。でもさぁ刷り込みの責任って大きいよ。着物=高価・・・って誰の刷り込み?(笑)高価ではない着物も存在したのに、高級品にしちゃったのかなぁ。そして今日はお勉強に都会におのぼりさん(笑)雨予報なので祖母の化繊の着物が大活躍。またも地味地味コーデ。いろんな櫛が織られた半幅とお召し風の化繊の縞着物矢の字の変形、アレンジふくら雀風。