哀しみは果てしなく(2)
2019年 平成最後のお正月。楽しい気分は皆無のまま・・・まーやんの受験も大詰め。ばあちゃんの転院もあり、あっという間の日々。結局まーやんは第一志望の大学は不合格でした。まーやんが出した結論は「介護福祉士」になりたい。そのために専門学校を再受験させてほしいとのことでした。2月にその学校の2次試験を受験することになりました。今はその学校に通って 国家試験合格を目指しています。ばばの転院先は自宅から車で小一時間かかるところでした。時期が悪く インフルエンザが蔓延していて面会は基本禁止とのことで1週間に一度くらいの割合で、着替えやもろもろを届けに行きました。もちろん本人には会えません。それがばばの精神状態を圧迫しているのはわかりましたが私はちょっとほっとしていました。基本入院しているときは 毎日顔を出してほしい人でしたから。さみしがり屋でした。毎日往復2時間はきついよな~って思っていた私は、病院が禁止しているんだからと言える状態に安堵したのです。ひどい娘ですよね。ただ、その病院は認知症の方や動けない方が多く、正直まめなケアや患者の精神ケアまでしっかりしてくれるところとはいいがたい病院でした。ばばは泣きながら「家に連れて帰って」と何度も懇願していました。せめて家で死にたい・・・帰れないならすぐに死なせて・・・・たびたび泣かれて、辛かった。ごめんなさい。ごめんなさい。と思う自分。今は我慢してよ。と突き放す自分。病院のソーシャルワーカーさんには入院当初から自宅に近い病院への転院をかなえるべく、何度もお願いに行ったのですが実はこの病院のワーカーさん。ほとんど動いてくれませんでした。入院から2か月後、部屋が替わったときにワーカーさんも交代したらしいのですが交代した日から1週間経っていても 何も引継ぎされてなくて「私まだよくわかってないんですけど・・」って。は?です。しかも転院したいと願う病院にも何もアクションしてなかった。これはさすがにどうよ・・・と思いました。その時には まーやんの入学式も決まっていたので落ち着いたら もう一度在宅介護を視野に入れて 外泊させてみようかと考えました。4月のはじめ、まーやんの入学式のあと、初のスーツ姿のまーやんと病院に行きその姿をばばに見せられました。まだその時点では医師に相談できていなかったので外泊のことは言いませんでした。許可が下りなかったら余計につらい思いをさせることになるから。でもその反面、この介護はいつまで続くんだろう。終わりにならないのかなとものすごくひどいことも心の中で考えていた私は鬼です。その日 じいちゃんが夢に現れました。「(ばあちゃんのこと)もう (介護)しなくていい?」ひどい娘は夢の中で6年前に他界した父にそう問いかけていました。「うん、いいよ」そう答えてくれた父の声が今でも耳に焼き付いて離れません。その翌日、病院から電話があり、ちょっと体調が悪いので点滴をしたいが本人が嫌がってさせてくれないので説得しに来てほしいと。一番下の妹にも連絡がいき、一緒に向かうことになりました。まーやんと妹の末の子も同行しました。みんなでばあちゃんを説得し、最終的には点滴をしてもらいました。また来るからというと、孫二人の手を握り締めて「本当にね。約束だよ」と、泣きそうな顔で。まさかそれが 最期になるとは思わず・・・帰路につきました。実は帰る前にばばは「私の遺影は○○の写真にしてほしい」と言いました。私たちはそんな縁起でもないこと言わないでと怒りましたがまさか、それが本当に遺言となるなんて思いもせず・・・・さみしい思いをさせてしまったままです。この翌日、容体が急変し、ばばは還らぬ人となってしまいました。病院から連絡を受けすぐに向かいましたが 間に合いませんでした。私は娘として最後にありがとうも言ってあげられず一人で逝かせてしまったのです。改元を待って、来年のオリンピックを楽しみにしていたのに。喪主は私がつとめました。兄がいますが、絶縁状態でした。(一応お葬式には参列しましたが)兄嫁も兄の子供たちも参列してくれませんでした。悲しかった。6年前 ばばを引き取ったときはこんな風になるなんて。。。後悔しか浮かびません。ごめんしか言えないです。みんな「よく頑張ったよ。見てあげたよ」と言ってくれますがそう思えない自分が ばばがいなくなって半年たった今でも変わらずに蹲っています。新盆には4月に桜を見る前に他界した母とお花見が大好きだった父のために桜の提灯を用意しました。毎年、毎年この桜を一緒に見るために。せめてもの思いをいっぱい詰めて選びました。まーやんや旦那のためにもうしっかりしなきゃと思いつつ上がったり、下がったりを続けています。まーやんはアルバイトも始めて頑張っています。旦那もいまだに単身赴任です。私は 玖に癒してもらいながら・・・・二度と両親に会えない寂しさは50歳を目の前にしたおばさんでもきついです。ばばが亡くなる直前に見た夢の中の父は 優しい顔をしてくれていました。今 時折二人のことを夢に見ますが、いつも優しい顔で時には笑ってくれてます。私が許してほしいと願うからそんな風に夢に見るのでしょうがやっぱり 辛いですね。いつまでも私がこんなじゃいけないな~。二人のためにもしっかり供養して、私も早く元気にならないと。ってわかってはいるんですけどね・・・・最近、またへこむことが起こってしまって。それは後日、できたら更新しようかな。なので、今の自分の気持ちの整理のために 2年間の色々を綴ってみました。