北海道の若者が海外で活動中!【11月活動報告・星野愛花里さん】
こんにちは総合政策部政策局総合教育推進室です若者の海外留学を官民挙げて支援する「ほっかいどう未来チャレンジ基金」によりキルギスの地域農産物の生産・流通について調査し、北海道との農産物輸出入の可能性を探るために留学した、学生留学コース星野愛花里さんから11月の活動の様子が届きました。 留学最後の月を迎えました。農協では現在試験的にバレリアーナという薬草の根を乾燥機で乾燥させてキルギスの会社に販売しているところで、その選別作業を手伝っています。 以下、研究調査として村人と話をした際に学んだことを記します。 (1)国外肉需要の影響の大きさ カザフスタンは中央アジアの中でも一番GDPが高く、農業以外の産業の割合が増えていることから、肉需要が高まっていると言います。滞在中の村で聞き取り調査を進めていると、ここ10年ほどで家畜頭数を殖やしてきた農家が多いことが分かりました。 これは、この肉需要拡大を基にした肉の価格高騰が背景にありました。もともと、遊牧民族である彼らにとって、多くの家畜が富の証であったのは変わりないと思いますが、現在はそれが金額で裏付けされるようになっていると言えます。 実際に家畜バザールに行って確認をしたところ、羊は5,000ソム(1ソム=1.5円)前後、搾乳牛は子牛とセットでこの日67,000ソムで売れ、そのあと未経産牛を33,500ソムで購入することが出来ました。雄牛や馬は70,000ソム前後です。1人当たりの2018年GDPは88,570ソム(≒1,268ドル)と、金額に表れていないものが多いので比べられませんが、その存在の大きさはわかると思います。 これによって大規模化できた農家は自分自身で常に家畜の世話をできていますが、家族構成員が病気になるなど、後継者が少ない(またはいない)家では、土地を貸すか売るかして労働者となっています。 中規模の農家が、夏はマルチ(牧人)に預け、秋冬は近隣住民同士で共同管理(ゲズーと言う)をして暮らしているという風に、ソ連時代と違って階層分化が進んでいると言えます。 また、村の放牧地委員会によると、過放牧は問題ではないと言っていましたが、この勢いで殖やしていくと問題として浮上するのは時間の問題であると思います。 (2)ロシア人移入の歴史から見た現在の住民の特色 村の歴史を勉強する機会がありました。ソ連時代に農業技術士として働いていたイマシュさんから話を聞いてきました。 ソ連時代のキルギス周辺(セミレーチェ地方と呼ばれていた)については、いくつかの文献があります。ロシア人が移ってきたときに、ここに住んでいたキルギス人の一部は中国の方に逃げて行ったという話があるくらいで、私の滞在しているノボボスネセノフカ村はロシア人が作った歴史があります。 一方、同じ行政村を組織している近隣2村は、逃げ帰ってきたキルギス人も含めて、キルギス人の手によって作られたそうで、1920年代に定住化が進展したと言います。そのあと私有の家畜がコルホーズ(集団農場)のものとなり、集団化されました。現在でも同じ祖先をもつ人たちが住んでいます。 ノボボスネセノフカ村では、1980年代頃からロシア人がロシアに戻っていったので、主に近隣2村で生まれた末息子以外が彼らから家を買って移り住んで来ています。「遠くの親族より近所の人」ということわざがキルギスにもあるように、とあるゲズーではこういった近隣住民13戸で毎日順番に羊を集めて畑に連れて行き、草を食べさせています。 昔は父系親族を単位に移動をしながら生活していたと言いますが、現在は定住化して、親族ともそうでない人とも協力して家畜を世話していることがわかりました。家畜を飼育することに関しては住民の共通認識があるようです。 (3)農村生活の中での生々しい“生活感” 牛のと畜の様子を見学しました。外は冷えているのに、まだ湯気が立つくらい温かい肉をさわるのは初めてでした。日本では普段目の当たりにしない光景なのでかなり衝撃的でしたが、彼らにとっては冬期間の肉を得るための日常的な行為です。 そして村民の男性なら誰でもと畜の方法を知っていると言います。思っていたよりも内臓の色がきれいなことにも驚きました。 命の大切さをここで説くわけではありませんが、こういう上に自分の生が成り立っているのだと意識する機会になったと思います。可愛そうとかではなく、重いという感情が湧きました。それは自分たちが魚を食べるのと同じように、彼らがこの環境で生み出してきた生活の形だからです。 農耕、分業によって人間は生活を快適なものへと発展させてきましたが、果たしてどれだけ自分の生に関わるものを見えないものに出来るのか。現在は環境問題や倫理的な問題などが出て来ていますが、これらはその見えなくなっていたものによって生み出されたのではないかと思うようになりました。 自分で食べ物を得ろという極論に至るわけではないですが、ほぼ確実に食料を得られる安心を手に入れた代わりに失っているものもあるかもしれない、と意識を向けられることがこれから大事なのではないかと思います。農業や農村は暮らす中で学ぶことがたくさんあるものだと改めて感じました。 ▼「ほっかいどう未来チャレンジ基金」についてはこちら ▼「みらチャレ」公式facebookページについてはこちら