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カテゴリ:日高(ひだか)地域
日高振興局環境生活課です。
冬でも晴れの日が多く、例え降雪があっても、すぐに溶けてしまい、ほぼ通年ウォーキングが可能な日高地方。 さて、当課HPでは、文化振興(地域歴史文化)、及びスポーツ振興(ウォーキング)を目的に、「日高文化歴史散歩~★ブラ・ラブヒダカ!」の掲載を行っており、前回ブログで、「第5章 イザベラ・バード 奥地紀行編!」を紹介させていただきましたが、今回、次の第2章をご紹介させていただきます! ★ブラ・ラブヒダカ「第2章 江戸時代の風情 様似編!」 なお、概略は、次のとおりです。 1.東側は断崖絶壁の連続のため、江戸時代から「交通の要衝」とされ、日高管内で最も古い和人の歴史があると思われる様似町。(下の写真は、様似~えりも間にある「日高耶馬溪」) 2.様似駅は1937年(昭和12年)に開業、さらに延伸の計画があったものの実現せず、「日高線の終着駅」に。 3.様似駅を起点に「観音山」を反時計回りに一周。坂を北へ上りながら、その高山植物群落が国の特別天然記念物に指定される「アポイ岳」を眺望。 4.「ユネスコ世界ジオパーク」に認定される様似町の海には、奇岩の数々が浮かび、坂を南へ下りながら「親子岩」を眺望。 5.18世紀末のロシア(キリスト教)の南下政策に対抗し、江戸幕府が蝦夷三官寺の筆頭寺として建立した「等澍院」を訪問。 6.ロシア南下政策に危機感を抱いた江戸幕府は、1799年に東蝦夷地を直轄地化。その出先機関の「会所」跡が、現在の様似郷土館の目の前にあり、ここが東蝦夷地の「調査の拠点」とされる。 7.「エンルム岬展望台」に登り、様似会所跡付近を一望。周辺は「陸繋島」の地形で天然の良港とされた。 8.別の機会に観音山展望台から撮影した「エンルム岬」。かつてのエンルムチャシ跡であり、江戸時代末には、外国船打ち払いの「台場」となった。 なお、詳細は、次のHPのリンクをクリックしてご覧いただければ幸いです! ★ブラ・ラブヒダカ「第2章 江戸時代の風情 様似編!」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.11.29 17:10:04
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