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カテゴリ:主婦ネタ
今日は午後から雲行きが怪しくなり、ピカッゴロゴロと雷さんが大活躍。 山間部などでは大雨・洪水警報も出されていたようです。
梅雨も終わり、夏になったというのにおかしな天気です。 さて、来年度(09年)から薬事法が改正され、コンビニなど薬局以外でも一部の医薬品が販売できるようになります。 この前も一部緩和され、医薬品のドリンク剤の販売が可能になってます。 消費者にとっては便利にはなりますが、薬局、ドラッグストアにとってはちょっと痛手。 が、それよりもっと痛手なのは「置き薬」屋さん。 いわゆる 越中富山の薬売り。 ということで、本日のお題は 「越中富山の薬売り」 尚、昨日のお題は 「ドッカ~ン!」 ご覧になってない方はこちらもどうぞ 富山の薬売りと聞いて、スグ思い浮かぶのが紙風船。 ご年配の方には、子供のとき、それを楽しみにしていた方もおられるでしょう。 今はほとんど来なくなりましたが、私の子供時代にはけっこう来ていたような気がします。 しかし 富山近県ではまだまだ活躍しているようです。 「売薬さんちゃ、がんばっとったがやねぇ」 <売薬さんって、頑張ってたのねぇ> ●富山の薬売り 起源は16世紀中ごろ、越中に薬商種の唐人の座ができたことです。 17世紀初期から中ごろにかけて丸剤や散剤を製薬する専業店が現れました。 開業当時は薬種販売のみを行い、それから成薬業に移ったと思われます。 17世紀終期、富山藩第2代藩主 前田正甫が薬に興味を持ち、合薬の研究をし、富山では最も有名な合薬反魂丹(はんごんたん)が開発されました。 そして、富山城下の成薬店や薬種業者の自主的な商売を踏まえて産業奨励のために売薬を採り上げました。 このことが越中売薬発生の大きな契機となったのです。 18世紀になると売薬は藩の一大事業になり、「反魂丹」商売人に対する各種の心得が示され、この商売道徳が現在まで富山売薬を発展させてきた一因といえます。 藩の援助と取締りのもと 越中売薬は種類を広げながら次第に販路を拡大していきました。 明治、大正、昭和と売薬は発展を続け全国でも有名な配置販売業となりました。 江戸時代、越中国内の売薬は「三組三カ所」と総称されました。 この三組三ヶ所とは、 三組:高岡、小杉(射水)、富山 三ヶ所:東岩瀬、東西水橋、滑川 です。 また 富山藩領である富山町以外の売薬場所である二組三ヶ所は加賀藩越中領であったので「加賀領売薬」と呼びました。 さらに 加賀領売薬の三ヶ所に、新庄、上市を加えた五ヶ所を「新川売薬」とも呼ばれました。 反魂丹:越中で売薬業が始まった江戸中期から明治中期まで製造・販売された代表的な薬。 江戸時代は23味(成分)もの薬種を調合して製造されていました。 本来は腹薬ですが、当時の庶民は万能薬として用いました。 「反魂丹」とは「(死んだ人でも)息を吹き返すねり薬」の意味です。 その 越中富山の薬売りが危機を迎えている。 ドラッグストアに押され、利用者は減りつつある。 また 販売員の高齢化も進んでいます。 そこへ、2009年度からコンビニなど薬局以外でも一部の医薬品が販売できるように制度が変わります。 この 打撃は大きいはず。 富山近県の田舎のお年寄りには非常に便利な存在で、また 郷愁をもさそう「薬売り」は生き残れるのだろうか? 富山の薬売りは、風邪薬、胃腸薬や絆創膏といった常備薬の入った薬箱を家庭に置いてもらい、業者が定期的に訪れて使った分の代金を回収し商品を補充するという仕組み。 使った分を後で支払うという販売手法は「先用後利(せんようこうり)」」と呼ばれ、クレジットのはしりである。 ただ、昔から支払いは盆暮れという風に決まっていて、必ずしも富山藩だけの独自というものではない。 最近ではこの手法がオフィスに菓子を設置する「置き菓子」にも応用されている。 富山県くすり政策課によると、2007年12月31日現在で1634人の業者が登録されている。 前年に比べて60人以上減ったという。 残る業者も3分の2が60歳代と、高齢化が進んでいます。 配置薬業者で組織する富山県薬業連合会の担当者は高齢化に加えて、利用者が減っている と指摘しています。 品揃えが豊富なドラッグストアを利用する人が増えたせいです。 最近では郊外にも大型店が建ち、車で行ってまとめ買いができるようになりました。 配置薬業販売員は1年に1軒あたり1~3回訪問するため、8~10か月は自宅に戻らないという。 「出張が多く、若い人に受け入れられにくい」ので、後継者不足も深刻。 業者といっても実際は一人で働く例が多い。 北海道、栃木、富山を中心に売り歩いていて、得意先は1500軒にも上る という。 09年度からの新制度で取り巻く環境さらに厳しくこうした中、追い打ちをかけるように09年度から新制度が始まります。 厚生労働省は09年度から、登録販売者制度を開始。 これまでは薬剤師がいる店でしか医薬品を販売できなかったが、この新制度では試験に合格すれば扱いが可能になります。 コンビニエンスストアなど薬局以外でも医薬品が販売できるようになるため、配置薬業者を取り巻く環境は増々厳しさを増しそうだ。 医薬食品局総務課の担当者によると、既存の業者は経過措置として業務が認められる。 しかし、有資格と無資格では扱える薬が異なります。 医薬品の485成分のうち登録販売者が扱えるのは474成分だが、資格がないと従来通りの270成分しか扱えない。 製品数でみると「現段階で2~3品目増える程度」(富山県薬業連合の担当者)で当面影響は少ないが、今後品目が増えると打撃は大きいはず。 尚、配置販売業とは、 医薬品の販売業の業態のひとつであり、日本独自の医薬品販売の形態で、薬事法第25条に規定されています。 販売員(配置員)が消費者の家庭や企業を訪問し、医薬品の入った箱(配置箱)を配置し、次回の訪問時に使用した分の代金を清算し、集金する仕組みで、これを「先用後利」といいます。 配置員が配置した薬は、一般に「置き薬」と呼ばれる。 配置販売業は都道府県知事から許可を得て、厚生労働大臣から指定を受けた品目について、許可を受けた地域(都道府県の全域または一部地域)にて業務を行うことができます。 この許可の有効期限は6年であり、同地域での業務の継続を希望する場合は許可の更新が必要です。 また 配置販売に従事する者は都道府県知事が証明する「配置従事者身分証明書」が必要で、この証明書の期限は2年です。 配置員は薬剤師である必要はなく、このことが医薬品の無資格販売の是非や、薬剤師のいる薬局・ドラッグストアなど、以外での医薬品の販売についての議論の端緒のひとつとなっています。 また、訪問販売に近い形式であるにもかかわらず、医薬品に関しては特定商取引に関する法律の適用を受けないことから、近年、配置箱の新規契約や契約解除等をめぐるトラブルが消費生活センターなどに多く寄せられる例が見られます。 薬の入替えや点検を口実に家庭に入り込み、健康補助食品(サプリメント)やその他 医薬品とはまったく関係ない商品の訪問販売を行う悪質な業者も存在します。 冒頭でも述べたように、各家庭に薬を届けるために、全国を回っている越中富山の薬売りが、薬とともに置いていくオマケ。 紙風船が有名だが、最初からそうだったわけではなく、江戸時代には売薬版画が主流を占めていた という。 こうした進物(オマケ)は、業者が顧客との信頼関係を維持するお中元、お歳暮のようなもの。 大きさも、顧客のランクごとに何種類もあったという。 その後、明治時代の後半になって紙風船へと代わり、最盛期の昭和初期には、大人向けに湯呑みやコースター、子ども用に紙風船、紙飛行機など、品揃え豊富になりました。 ただ、薬を入れ替える際、民謡や農業技術を伝えるのは、「品物ではない進物」だったそうです。 そして、もうひとつ。 心温まる、手書きの筆文字で書かれた約300の標語がある。 第一章 人生に悩んだとき 第二章 人間の在り方を考えるとき 第三章 健康でありたいと願うとき 第四章 対人関係をよくしたいと思うとき 第五章 仕事が上手くいかないと感じるとき 第六章 金銭に関して迷いが生じたとき など、現代でも充分通用する標語もある。 実物は、ブログ仲間の富山の「りえばあさん」のブログに載っていますので、ご参考に・・・ なぜか大学からアクセスの多い別ブログ ●別ブログ7/28の新着は「1人前」 前回は「派遣会社の収支」 こちらも見てね 尚、迷惑書き込みがやたら多いため、現在 別ブログのコメント欄は承認後でないと投稿表示できません。 ご了承ください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年07月28日 23時31分33秒
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