|
カテゴリ:主婦ネタ
日中はまだまだ暑いですが、朝夕かなり涼しくなってきました。 8月ももう2/3を過ぎ、小さなお子様のいるご家庭では、宿題が気がかりなところも多いでしょう。
北海道や信州ではもう夏休みも終わり、秋の新学期が始まっています。 そう 信州では夏休みが短いのです。 これから実りの秋、稲刈りが各地で始まります。 この前行った新潟・柏崎では、もう早稲の刈り取りが始まっています。 ----------------------------------------------------------------- 中越沖地震で大きな被害を受けた柏崎市西山町五日市地区の水田で20日、県内のトップを切って稲刈りが始まった。 今月中に県内外の消費者の食卓に乗せてもらおうと、地区住民らが黄金色に実った早生(わせ)品種「越路早生」を次々と刈り取った。 JA柏崎によると、柏崎刈羽地域では約150ヘクタールの越路早生を栽培。 このうち4月下旬に植え付けた「早期越路早生」は「一番早い新潟産の新米」として人気が高く、同JAは本年度から「越路早生の郷(さと)」のブランド名で売り出す。 20日はJAや行政関係者らによる出陣式の後、住民らが水田40アール分をコンバインで収穫した。 同地区は地震で住宅の大半が被災し、昨年は米の収量も平年の9割ほど。 半壊した住宅をお盆前に直したばかりという兼業農家渡辺知信さんは「天候に恵まれて実り具合もいい。 収量を平年並みに戻して復興に弾みをつけたい」と語った。 収穫された米は乾燥や検査を終え、28日以降に県内や首都圏のスーパーなどに並ぶ。(2008年8月20日 新潟日報) ----------------------------------------------------------------- そういえば、家の建て直し、もしくは耐震補強工事など工事中のが多かったです。 あ 耐震補強工事といえば、長野の市立小中学校の校舎や体育館が耐震的に不安があるものが多かったそうです。 こちらは手抜き工事ではありませんが、中国・四川大地震では手抜き工事で多くの子供たちが亡くなりました。 早急に耐震補強工事をしてもらいたいものです。 ----------------------------------------------------------------- 長野市教育委員会は8日、市立小中学校の校舎や体育館など計377棟のうち、震度6強の地震で倒壊する危険性が高い27校、39棟の校名と施設名を公表した。 耐震化の緊急性が高いことから、市はこれらの建物の耐震化工事を終える計画を当初より3年間前倒しして2019年度までとする計画を示した。 鷲沢正一市長は「目標年次を定め、1年でも早く耐震化を達成したい」と述べた。(2008年8月9日 信濃毎日新聞) ----------------------------------------------------------------- さて オリンピックも終盤戦にはいりました。 星野JAPANもアメリカに敗れ、期待の愛ちゃんも世界ランキング1位の張怡寧(中国)に敗退しましたね。 あと3日、残り少なくなりましたが、各選手にはがんばってもらいたいものです。 ところで、日本選手を応援するとき、「日本」のことをどう発音しますか? ニホン? それとも、ニッポン? たいていはニッポンでしょうね。 ニッポンチャチャチャとは言うけど、ニホンチャチャチャとは言わないでしょう。 が、しかし ニッポンジンという人は少なく、ニホンジンと言いますね。 ニッポン、ニホン、どちらが正しいのでしょう? ということで、本日のお題は 「NIPPON」 尚、昨日のお題は 「Waiting time」←ご覧になってない方はこちらもどうぞ 「NIPPON」、話し言葉は「ニホン」が断然多く、外国を意識した時に「ニッポン」と力が入る方の言い方になるのかもしれない という調査結果があります。 確かに 語調として、「ニッポン」にはどこか緊張感があり、「ニホン」には柔らかい響きがあるように感じます。 奈良時代は「ニッポン」と読んでおり、のちに文字の通り「ニホン」と発音する人が出てきたと推測する学者がいます。 「ニホン」は元々誤読だったと・・・ そして お札には「NIHON」じゃなく、「NIPPON」と書かれています。 しかし このお札の表記には確たる論証はないのです。 つまり 「NIPPON」と書かれているのは、 発行所が「ニッポンギンコウ」だからなのです。 そして この起源としては、「NIPPON GINKO」と初めて表記されたのは、明治18年9月に発行された100円札の裏側と、1円札の表と裏です。 では、なぜ当時、「NIHON」でなく「NIPPON」とされたのか? 明治時代は、東日本では「ニホン」、西日本では「ニッポン」という言い方が主流だったようです。 今でも日本橋が、東京では「ニホンバシ」、大阪では「ニッポンバシ」と言いますね。 実は明治時代にお札に関わっていた人には、大蔵大臣の松方正義、日銀総裁の吉原重俊、大蔵省印刷局長の得能良介の3人で、彼らが薩摩出身者だったため、西日本の発音の仕方「ニッポン」が採用されたのだと言われています。 幕末~明治維新ごろの、日本の中の力関係が見えてきそうだが、つまり、当時、お札にかかわっていた人が東日本出身者であったなら、お札の国名表記も「NIHON GINKO」となっていた可能性が大きかったかもしれません。 さて、「ニッポン」か「ニホン」か ですが、このいずれにしても音読み、すなわち中国語系の読みであることです。 訓読みにするなら「ひのもと」であり、熟語で訓読みするのなら「やまと」となります。 あらら また読み方が増えてしまう。 「日本」が国名として対外的に登場するのは8世紀初頭のことで、百済救援のため白村江で唐・新羅連合軍と戦った後の669年以来、約30年ぶりとなる702年の遣唐使のことを記録した「旧唐書」に見られます。 これに少録という役職で万葉歌人・山上憶良も随行しており、帰国後詠んだ歌があります。 いざ子ども 早く日本へ 大伴の御津の浜松 待ち恋ひぬらむ このときの遣唐使が、国の名を「倭」から「日本」へと自ら替えたことを唐に通知したのだと思われます。 それまでは「倭」と書き、「ヲ」や「ヰ」や「ワ」などと音読みされてきました。 「ヲ」は越人の「越」(「越智」を「ヲチ」と読む)に通ずる音です。 「倭」は「ワ」という音からだろう、「和」となり、また美称として「大」の文字が載せられ、「大倭」や「大和」となります。 その訓は言うまでもなく「やまと」、「おおやまと」です。 「山門」や「山都」などと音訓を混ぜ込んだこじつけをせずとも、「邪馬台」(ヤマト)と発音された中心地があり、それが国名に拡張使用されたということが推察されています。 話がずいぶんそれていきましたが、「ニッポン」か「ニホン」か ですが、国立国会図書館では、題名に「日本」が含まれる約16万8千冊の読みを「ニホン」に統一して分類している とのこと。 そして 日本銀行では「ニッポンギンコウ」と呼ぶようにしている とのこと。 あ~ もー どっちやねん また 文化庁国語課は「政府として呼び方を決めたことはない」という。 で、結論としては、 どっちでも お好きなように・・・ ということになる。 どっちが正式なのかは国が宣言してない以上、どっちでもいいんです。 世界広しといえども、国名の読み方が2つある国は日本だけなんですよね。 ホント いい加減! どうりで政策もいい加減なわけだ。 余談ですが、「オリンピックの理想は人間を作ること、つまり参加までの過程が大事であり、オリンピックに参加することは人と付き合うこと、すなわち世界平和の意味を含んでいる」ことなのです。 メダルという結果に一喜一憂するのではなく頑張る姿に心から拍手を送る。 それこそがオリンピックの本当の応援の仕方ではないでしょうか。 成績ばかりを追うあまり、何か大切なことを忘れてませんか? <オマケ> シリーズ化してしまった懐メロ 「飛んでイスタンブール/庄野真代」、「YAH YAH YAH/CHAGE & ASKA」、「浪漫飛行/米米クラブ」 なぜか大学からアクセスの多い別ブログ ●別ブログ8/17の新着は「壱億円札」 前回は「値引き値札」 こちらも見てね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年08月22日 00時01分52秒
|
|