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カテゴリ:主婦ネタ
黄葉(もみちば)の、にほひは繁し、
しかれども、妻梨の木を、手(た)折りかざさむ 作:不明 万葉集より <黄葉はきれいに繁っているけれど、私は(妻無しなので)梨の木の枝を折って頭にかざろう> 昨日も書きましたが、パラリンピック 今晩も午後10時からNHK教育TVで放送があります。 多くの方がご覧頂けますよう・・・ さて、今日も何の脈略もなく、本日のお題 「おみくじ」 尚、昨日のお題は 「争い その1」←ご覧になってない方はこちらもどうぞ この頃「おみくじ」が流行っているらしい。 最近は「インターネットおみくじ」というのもあって、気軽におみくじを引いたりすることができる。 しかし おみくじといえば、やはり正月3が日の初詣で今年の運勢を占うおみくじが一般的でしょう。 古代においては、国の祭政に関する重要な事項や後継者を選ぶ際に、神の意志を占うために籤引きをすることがあり、これが現在の神籤の起源とされています。 しかし 現代は神社・仏閣で気軽におみくじが引けます。 ただ、願い事をする時、その願いと神社のご利益がぴったりあっていれば、かなう確率もあがるはず。 でも、どの神社にどのご利益があるのか、すぐにわかる人は少ないですよね。 このとき 神社の名前に注目すれば、ご利益がわかりやすいのです。 「神宮」と名のつく神社・・・昔の天皇などが祀られていることが多く、御神威に制限はありません。 だから、願うならスケールの大きなことをお願いするのに適しています。 「天満」と名のつく神社・・・学問の神様、菅原道真を祀っています。 大切な試験を控えている人は「天満」に要注目です。 「稲荷」と名のつく神社・・・農業、商業のご利益 「八幡」と名のつく神社・・・必勝祈願に向いている などお参りする神社選びにもコツがあるんです。 で、本題 おみくじのウンチク、 悩みや迷いの相談を受けて経を唱え、おみくじで吉凶を占う。 「おみくじ」の祖型が伝わる元三大師堂は、第18世天台座主、良源(912~985)をまつる。 正月3日に没し、慈恵(じえ)大師とも、元三大師とも呼ばれる天台宗中興の元祖。 最澄が創建した根本中堂を今の形に整え、御所で指南役も務めた一方で、鬼にも姿を変えて疫病の流行を鎮めた伝説の主として信仰を集めるが、ここ 元三大師堂は、おみくじの元祖ともいわれる。 その起源は、中国伝来の「天竺霊籤(てんじくれいせん)」にある。 延暦寺と同様に、五言四句の漢詩百編を用いて占う籤(みくじ)で、中国では古くから存在していたらしい。 平安後期にこれを寺に取り入れたのが、元三大師だといわれる。 洪水、かんばつ、大地震と、天変地異が続いたころ。 長臈は「誰もが安心できる支えをお求めになったのでは」と推し量る。 その頃、織田信長の焼き打ちもあってか、その確たる史料は残されていない。 天竺霊籤が伝わった時代も定かではなく、中世を通して御籤の痕跡そのものが極めて少ない、といわれるが、それならなぜ、「おみくじの祖」なのだろうか。 伝承をたどると、徳川家康の側近、天海大僧正(1536~1643)が元三大師から受けたというお告げに行き着く。 「我が在世中に用いていた観音の百籤を信州戸隠山明神に納めてある。 この処方箋で信心を凝らして吉凶を占わば、願いに応じて禍福を知らしめるであろう」 お告げに従い戸隠に人を遣わすと、百枚の籤が見つかったと、1680年に高弟が著した「元三慈恵大師縁起」が伝えている。 元三大師に深く帰依していた天海大僧正は比叡山に学び、焼き打ち後の復興に尽力するとともに、江戸の上野に寛永寺を創建してその信仰を広めた。 東叡山と号し、誰でも御籤を引けるようにしたとされる。 「天台宗の寺に受け継がれていた御籤に、庶民を引きつける役割を託したのではないか」ともいわれる。 お告げの伝承に彩られてか、ベールに包まれていた御籤は江戸初期、歴史の表舞台に躍り出て、寺だけでなく神社にも広がった。 漢詩百編の吉凶と解釈だけを記した籤から挿絵つきに変わり、やがて売買、失(う)せもの、縁談と、細かく分けて吉凶を伝えたり、武士や町人という階級に応じた注解を添えたりして、世俗化していく。 江戸後期、百籤の解釈を記した御籤本が爆発的に売れ、御籤箱をもつ家庭まであったらしい。 漢詩を様々に解釈し、励ましと戒めを絶妙に組み合わせて、現世利益を説いたことが普及した理由だともいわれる。 時代の先が見えない今、「恋愛みくじ」に「受験みくじ」と、おみくじは様々に分化しながら、老若男女の心をとらえる。 変容の背景にあるのが、明治政府の神仏分離政策だった。 漢詩ではなく、神歌による占いが神社に推奨されたため、和歌を用いたおみくじが増えた。 定型がない分、趣向を凝らす余地が生じたという。 津々浦々、小さな寺社にも行き渡ったが、かつての要人らも時に判断を委ねたといわれる延暦寺は、やはり別格であろう。 元三大師堂を訪れる人が絶えない。 3年前、18代目を襲名した歌舞伎役者、中村勘三郎さんも襲名披露興行の合間に足を運んだ。 「人生の岐路でお大師さまに相談する人がこの辺りには多い」と言う。 しかし、本当は気軽におみくじを引いてはいけないらしい。 「お大師さまのお告げを受け入れ、必ず実行する覚悟が必要」なのだ。 居ずまいを正して向き合うからこそ、進むべき道も見えるのです。 おみくじの源流と言えるくじは、符号をつけた紙片や木片などを引いて吉凶や勝敗を決める方法。 「短籍(たんじゃく)を取りて、謀反(みかどかたぶ)けむ事を卜(うらな)った」との記述が「日本書紀」(斉明紀)にあり、その歴史は飛鳥時代にさかのぼる。 一方、漢詩の読解に基づくおみくじは宗教的色彩が強く、江戸時代に流行するまでは史料も少ない。 天竺霊籤の漢詩が記された「籤筒」が岩手県二戸市の天台寺に現存し、室町時代の「応永十六年」(1409年)の銘文が確認されて、空白の一部を埋めている。 天竺霊籤は中国からの伝来後、「観音籤」などと呼ばれたが、江戸時代に「元三大師御籤本」が登場してから「御籤」という言葉が一般化した。 江戸後期には、これが「おみくじ」に変化したとされる。 尚、現在 おみくじの7割近くは女子道社(山口県周南市)によって作られており、英語版はハワイなど外国への輸出も行われています。 また 各神社寺院独自で作っているところもあります。 ちなみに、おみくじをよい順番にならべると、 「大吉→中吉→小吉→吉→半吉→末吉→末小吉→凶→小凶→半凶→末凶→大凶」となります。 さて あなたは「大吉」取れましたか? <オマケ> シリーズ化してしまった懐メロ 「TOMORROW/岡本真夜」、「YAH YAH YAH/CHAGE & ASKA」、「どんなときも/槇原敬之」 なぜか大学からアクセスの多い別ブログ ●別ブログ9/02の新着は「A. KY」 前回は「壱億円札」 こちらも見てね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年09月07日 21時47分37秒
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