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カテゴリ:教育
ガソリン 安くなってますね。 昨年末 灯油を買いにに行ったのですが、97円(レギュラー1L)になってました。 昨年夏の200円を超えるか ということがウソのようです。
------------------------------------------------------------- 年末年始の需要期をにらみ、ガソリン店頭価格の下落が加速している。 首都圏や近畿圏の販売激戦区ではレギュラーで1リットル90円台の販売が増加し、高知市では90円の看板も登場した。 原油価格の下落に加え、景気後退で消費者の節約志向が根強いためだ。 価格下落で販売はやや回復傾向だが、赤字覚悟の安値販売も出ており、販売店の採算は厳しいようだ。 高知市とその周辺部では11月下旬に改装した給油所の安売りをきっかけに、現在は数店舗が90円での販売を展開。 全国有数の販売激戦区となった。 大阪府南部の泉南市では92―93円で販売する店が出てきた。 首都圏でも都内の環状7号などで今週から90円台の看板が徐々に増えてきた。(2008年12月26日 日本経済新聞) ●欧米各国、軽油がガソリンより高く ディーゼル車普及で 欧米でディーゼル車に使う軽油の価格が、ガソリン価格に比べて高くなる国が相次いでいる。 12月中旬時点で欧米主要18カ国の半数以上で1リットル当たりの軽油価格がガソリン価格を上回った。 米英では価格差が広がっている。 今年半ばまでの燃料費の高騰を危惧した消費者が、より燃費のいいディーゼル車を積極的に購入したためだ。 これまで多くの国で、軽油の方がガソリンより安かった。 英国の交通情報会社AAが12月15日を基準としてまとめた自動車用燃料価格によると、欧米主要国18カ国では軽油がガソリンを上回る国は10カ国と、1年前の4カ国から大幅に増えた。 イタリア、スペイン、オーストリア、アイルランド、スウェーデン、ノルウェーなどで価格が逆転した。(2008年12月26日 日本経済新聞) ------------------------------------------------------------- 尚、日本ではガソリン税(正式には揮発油税及び地方道路税)は、現在1リットル当たり53.8円の税金が課され、そのうち25.1円が暫定税率分。 また 販売価格に消費税がかかっており、二重課税になっている。 ただし、沖縄県は本土より7円減税されており、「沖縄県石油価格調整税条例」により、ガソリン1リットルあたり1.5円を徴収。 つまり、1リットルあたり7円-1.5円=5.5円となる。 また 軽油税(正式には軽油引取税)は、現在1リットルあたり32.1円。 うち17.1円が暫定税率分。 このように税率に大きく差があるため、軽油のほうが高くなるということはありえない。 ただ、昔はガソリン価格の6割程度であったが、最近は価格差が接近してきている。 しかし 今年はガソリン価格に振り回された年でした。 まあ 食品値上げが続く現在、少しでも安いほうが庶民にはありがたいですが・・・ 年末はデパート・スーパーなどはいつものように買い物客で賑わったが、世相を反映して、やはり財布のひもは固いそうだ。 また 近年は食品偽装などで、その品物が本当に国産かわからなくなってきている。 昔の「お客さまに誠実」という販売形態が崩れてきているのも現代の特徴。 これも対面販売が減ったからかもしれない。 が、なによりも道徳心の低下だろう。 ということで、本日のお題 「消された二宮尊徳」 昨日のお題は 「デタラメと確率、思い込み」 ご覧になってない方はこちらもどうぞ ひと昔前 全国のほとんどの公立小学校の校門の脇に、少年の日の二宮尊徳の石像が建っていたのを、60代・70代(まれに50代後半)以上の人は覚えていると思う。(私の小学生低学年のころ、小学校には確かにあった。 でも、60代・70代ではありません。 念のため) 背中に薪を背負い、本を読みながら歩いている像。 親を助けて山に薪を取りに行くのだが、その間も時間を惜しんで勉強する。 この勤勉さを子供たちに教えることが像の目的だった。 日本的美徳を体現した人物であり、戦前の教育では子供たちの手本に挙げられながら、戦後はほとんど顧みられなくなってしまった人物の筆頭と言えば二宮尊徳。(1787~1856年 農政家・思想家、通称:金次郎) 戦後、像はほとんど撤去され、教科書でも詳しく教えられなくなった。 勤勉さが基礎となって日本人の愛国心や忠誠心が育まれたと、GHQが考えたからだ と言う。 GHQにとって二宮尊徳は「危険人物」だったのである。 「忠臣蔵」も同様。 しかし、勤勉であること、さらには親孝行であること、世のため人のために尽くすことは普遍的な美徳なはず。 もうひとり、日本的美徳の体現者を挙げよう。 平重盛(1138~1179年 平安末期の武将・公卿) 平家一門が隆盛を誇り、重盛の父・清盛は後白河法皇を幽閉しようと企み、その任を重盛に命じた人物。 重盛は法皇の臣下として忠誠を選ぶべきか、清盛の息子として孝行を優先するべきか、深く悩んだ。 「尋常小学国史」は、重盛が涙ながらに清盛に次のように訴えた場面を描き、「忠孝の道を全うした」と教えている。 「私は、兵を率いて法皇をお守りせねばなりません。 しかしまた、父上に手向うことも、子として私には堪えられません。 それ故、父上がどうしてもこの企みを成しとげようとなさるなら、まず私の首をはねてからにして下さい」 戦後の教科書では重盛は単に清盛の息子という位置づけだが、この逸話ほど子供たちに忠孝の大切さを教えるに相応しいものはない。 日本人が先祖から「慈悲・慈愛」、「勤勉」、「篤実」、「高貴な精神」、「謙虚さ」、「繊細さ」といった優れた人間的資質や美徳を受け継いできたことは確かだ。 だが、こうした美徳はすでに過去のものになったと、以前から指摘されてきた。 拝金主義が蔓延し、弱肉強食を当然のこととし、無差別殺傷事件が連続して起こる今日の状況を見ると、ますますその感を強くする。 日本人の美徳がすたれた原因には様々あるが、国家の土台を作る教育に第一の原因があるのではないだろうか。 特に戦後の教科書から歴史上の偉人たちが「消されて」しまったこともその一因だと思う。 「人間は誰でも平等」という社会主義的イデオロギーが普及し、以前にも述べた「個人主義」、「家庭第一主義」の蔓延が忠孝を隅へ押しやってしまった。(ただし、これも以前に書きましたが、戦前の全体主義や封建制度、師弟制などを励賛しているわけではありません) しかし 少なくとも現在の「個人主義」、「家庭第一主義」の結果(むろん これだけではないが)、昔より人々の心が「自分だけ良ければよい」という、「利己主義」的な方向に進んでいることは今の世の中が物語っている。 戦後の民社主義、および「人間は誰でも平等」という社会主義的イデオロギー理論は間違いないが、どうも誤った方向にいってしまったように思う。 もし、これが戦前の教育より優れているならば、昔より今のほうが人々の心が豊かになっているはずだ。 と書くと、また誤解されやすいが、民社主義の根幹である「個人主義」、「家庭第一主義」を否定するわけではない。 また 「人間は誰でも平等」も否定はしない。(しかし 現実には社会には不平等がまかり通ってる) 戦前教育も良いところは多数あり、戦後 それをすべて「否定」してしまったからではないか。 昔の教えの良いところは見直し、今の民社主義に織り込むべきであった のではないだろうか。 そうしなかったから、「利己主義」的な人が増えたし、また それすら気づいてない人が増えたのではないだろうか。 カントとかマルクスの言葉を理解できても、十人十色が理解できないようでは実生活に何の役も立たない。 というより、前者は知らなくても実生活に支障はない。 大事なのは後者のほう。 こういうのは、どこかの政治屋、高級官僚など、苦労知らずのお坊ちゃん、お譲ちゃん育ちによくありがちなこと。(一般人でもいますが) だから価値観も違い、かみ合わない。 池にでもぼっちゃんと投げ込んで、頭を冷やさせてみたらいい。 口先だけのごまかしはもういらない。 現代は「二宮尊徳」ではなく「自分損得」になっている。 世のため人のため はどうでもよく「自分だけ良ければ良い」のである。 「必殺仕事人」現代にも要るかも・・・ なぜか大学からアクセスの多い別ブログ やっと更新しました ●別ブログ1/4の新着は「美徳はどこへいったのか?」 前回は「激動の医薬品卸業界」 こちらも見てね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年01月04日 23時07分03秒
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