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カテゴリ:主婦ネタ
本日も昨日、一昨日に続いて接待最終日。(昨日の日付けの日記です) 接待 されてしまったけれど・・・ 一応 無事任務終了です。
ということで、いきなり本日のお題は 「銭湯」 尚、昨日のお題は 「要介護で離職者が急増」 ご覧になってない方はこちらもどうぞ さて、昔はあちこちにあった銭湯 最近はめっきり減りました。 今はどこでも家にお風呂があります。 私たちの子供時代は内風呂があるところは少なかった。 ゆえに銭湯がいたるところにあったわけです。 また 今の子供たちは内風呂に入り慣れてるがゆえに、知らない他人と一緒に入る銭湯が「恥ずかしい」という心理もあります。 特に思春期の子供などは身体の変化があるがゆえに、余計です。 ところで、銭湯といえば、壁にたいてい何かの絵が描いてありますね。 関東では「富士山」の絵が多いそうです。 しかし、なぜ 壁に絵があるのだろうか? 2008年にINAXが行った「日本人の入浴に関する調査」によれば、「入浴の目的」として「身体を清潔にする」と答えた人が94.6%。 以下「疲れを癒す」が70.1%、「リラックス」が45.8%と続く。 「疲れを癒す」と「リラックス」はほぼ同義ですから、日本人の多くは入浴にある一定のヒーリング効果やリラクゼーション効果を求めているのがわかります。 そこで、前述の壁の絵を思い浮かべていただきたい。 巨大な富士山の絵を背景に、裸の人々があちこちで体をごしごし洗っていて、時折誰かが湯桶を打ち付けるカッコーン!という音がこだまする・・・ この情景から、試しに富士山の絵だけを抜いてみると・・・ 背景は何の変哲もない、殺風景なただの壁。 すると、どうでしょう。 「入浴するための施設」という銭湯の機能そのものは何も失われていないのに、なんだか途端に味気ない風景に見えてくるのではないでしょうか。 殺風景な壁の銭湯がなぜ味気なく感じられるか、もうおわかりのはず。 銭湯の富士山の絵は、高い天井と並んで、広がりを感じさせる空間演出の優れた技法のひとつなのです。 銭湯にやってくる人々は、高さ3m、横幅6mの壁に描かれた雄大な富士山を眺めることで、視覚的にもほっと癒やされていたというわけ。 富士山の絵なんて、銭湯にあってもなくてもよさそうなものだけど、リラクゼーション効果まで気にしてくれていたとは・・・ なんて“上出来”なんだろう。 太宰治の名文、「富士には、月見草がよく似合う」にならっていえば、「銭湯には、富士がよく似合う」。 ただ 富士山は関東ならではの文化だとか。 関西の銭湯にペンキ絵はあまり見られず、あるとしてもタイル絵で、しかも絵の題材はまちまちなのだという。 銭湯で富士山のペンキ絵が最初に描かれたのは、1912年(大正元年)で、発祥の地は東京都千代田区猿楽町で1971年(昭和46年)まで営業していた「キカイ湯」という銭湯。 「キカイ」といっても、「奇怪」ではなく、「機械」の「キカイ」。 1884年(明治17年)の創業当時、最新の汽船用ボイラー(機械釜)で湯を沸かすことを“売り”にしていたため、こう名付けられたらしい。 そのキカイ湯が大正元年に増築するときのこと。 当時の経営者は、広告分野でも活躍していた画家の川越広四郎氏に、浴室の壁に絵を描いてくれと依頼する。 まだ内風呂が普及する以前、一般的な家庭では毎日入浴するという習慣もなく、銭湯に行くのは一種のイベント。 「子どもが絵を見ながらゆっくり湯船につかれるように」という配慮からだったらしい。 依頼された川越氏は静岡県掛川市の出身。 おそらく、富士山に人一倍愛着があったのだろう。 「それでは」と描き上げたのが、巨大な富士山の絵だった。 すると、「あの銭湯には立派な富士山の絵がある」と、東京っ子たちの間でたちまち評判になった。 その人気にあやかろうとマネする銭湯が続出し、東京中の銭湯で富士山の絵が描かれるようになった という。 まだラジオもなかった時代、銭湯は多くの人が集まる、ひとつの社交場でもありました。 そして、そこにをつけたのが、当時の広告代理店です。 町内の医者や商店から広告料を取って、ペンキ絵の下に名前を入れるというビジネスを考えつきました。 そして 年1回、広告の契約料をいただく代わりに、富士山の絵もそのつど無料で描き直しましょうと約束したのです。 これには、銭湯のオーナーも大喜び。 なにしろ、毎年タダで背景画を描いてくれるんですから。 こうして大正4~5年ごろには、代理店の積極的な営業活動もあって、富士山の絵が東京中の銭湯に急速に普及したのです。 ラジオやテレビなど大衆に広く告知できるメディアがなかった時代、多くの人々が集まる銭湯のような場所は、代理店が広告を展開するにはとても魅力的な場所でした。 それにしても、なぜ富士山の絵が東京人に好まれたのか? 末広がりで縁起のいい図柄だから、ということもあったのでしょう。 また、今でも都内各地に富士塚が残っているように、江戸庶民の間で盛んだった富士信仰の名残があったのかもしれません。 銭湯のペンキ絵は描いて1年もすれば、湯気でペンキが剥がれてぼろぼろになり、保存が効きません。 だからこそ、年1回描きかえるシステムには意味があったのですが、すでに広告システムとして成り立たなくなっています。 そしていまや内風呂の急速な普及とともに、都内で銭湯の数が激減しており、かつては数十人いたペンキ絵師も、残るは全国で3人のみ。 そのうち一番若い人でも60歳を超えているという。 今では、ペンキ絵好きの銭湯経営者が自腹を切って、ペンキ絵師にぽつぽつ絵を発注する程度。 銭湯の富士山の絵はやがて失われていく文化、貴重な文化遺産でもあります。 銭湯で、富士山の絵を間近に見ながら湯につかるのは、この上なく贅沢な時間なのかも・・・ ずーっと昔の使いまわしですが・・・ 富士山 大学からアクセスの多い別ブログ まったく更新してませんが・・・ ●別ブログ2/25の新着は「謎の企業 B-CAS社」 前回は 「クレーマー保護者」 前々回は「アナログ放送終了」 こちらも見てね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年03月31日 12時56分04秒
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