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カテゴリ:交通システム
GWまっただ中。 1000円高速のせいもあり、各地の高速道路では、かなりの渋滞があったようです。 1000円高速、やはり魅力なんですね~
これに対抗してJRなども割安切符の販売に力を入れています。 とはいえ、価格的には1000円高速にはかないませんが、何よりも 早くゆったり行けるのが魅力。 ま 運転しない人にとってはあまり関係ないかもしれませんが、運転者にとっては大きな問題ですね。 元テツとしては、にもがんばってもらいたいものです。 のわりに利用ですが・・・ 長女たちはさっき大阪に向けて出発しました。 私はこれから長野・善光寺へ行くつもり。 は混むのでで行きます。 さて、元テツとして興味がわいたのが、「鉄道の発祥地」 近代国家の扉が開き、海を越えてきた鉄道はいつ、どこで運行を始めたか? そう問えば、たいていの人は、「明治初期、東京・新橋~横浜間」との答えが返ってくるでしょう。 確かに、明治5年(1872年)に初の官営鉄道は開業し、帝都を走ったが、その7年前 幕末の65年に蒸気機関車はいち早く姿を現していた。 鎖国中も世界の空気を呼吸していた街でのこと。 ということで、本日のお題は 「鉄道の発祥地」 尚、昨日のお題は 「肩こり」←ご覧になってない方はこちらもどうぞ それは長崎市。 JR長崎駅から港に沿って30分ほど歩くと、波止場は途切れ、大浦海岸通りに出る。 「バンド」と呼ばれる、かつての居留地。 その古びた洋館も残るその街路に143年前、400メートルほどのレールが敷かれ、小型の蒸気機関車「アイアン・デューク」が客車を引いて走り抜けた。 計画を立てたのが、トーマス・B・グラバー(スコットランド生まれの貿易商)。 訪日して製茶業や不動産業で身を起こし、63年、通りが見える山の手に邸宅を構えた。 ほどなく、中国・上海で英国製の機関車を買い付けたようだ。 線路の幅は762ミリ。 今なら遊園地並みの規格だが、地鳴りにも似た蒸気音を響かせて、重々しく進む鉄の塊に、見物客は驚いただろう。 その光景を悠然と眺めるグラバーの姿が目に浮かぶ。 東洋の島国での1か月にわたる試みは、世界の鉄道発祥の国でも話題を呼んだらしい。 英国の雑誌「レールウエー・タイムズ 1865年号」に長崎での運行報告が載ったと後年、長崎の英字紙「ナガサキ・プレス」は報じている。 グラバーはなぜ、多額の資金を投じて機関車を走らせたか? 長崎沖の炭鉱で採掘権を握るため、石炭の有用性を訴えたデモンストレーションというのが通説だが・・・ 「目先の利益の追求ではなく、鉄道の可能性を示し、この国の人々自らが未来を開けというメッセージを発したのではないか」と 国際交流史を研究するブライアン・バークガフニ長崎総合科学大教授は言う。 改めて彼の生き方を追うと、教授の推察はうなずける。 運行に前後して、英仏との衝突で西洋文明にを向けた薩摩、長州各藩士や坂本龍馬ら志士がグラバーを頼って長崎を訪れた。 幕府の監視を避けるため、隠し部屋も設けられた邸宅で、志士らは小銃や軍艦を注文しつつ、この国の変革を熱く語ったという。 時代が転換していく足音を聞いたのだろう。 掛け売りで物品の調達に協力し、龍馬に用立てた新型銃や弾薬は長州藩に渡って後の薩長同盟へ結びつく。 63年、長州藩士5人の英国密航にも手を貸した。 この中に、初代首相となる伊藤博文や、ロンドンで鉄道技術を学び、新橋―横浜間の鉄道敷設を指揮した井上勝もいた。 皮肉にも、維新で幕藩体制が崩壊し、グラバーは各藩から代金を回収できず、70年に破産した。 窮地に追い込まれたが、長崎を足場に三菱財閥を築いた土佐出身の岩崎弥太郎に迎えられ、終生 三菱に尽くしたという。 波乱の人生を送ったグラバーは、なぜか日記や手紙の類を残していない。 「不言実行を旨とし、業績を誇るようなことは潔しとしなかったのだろう。 だから志士らと響き合った。 過酷な風土や侵略に立ち向かったスコットランド人らしい」とバークガフニ教授はみる。 坂の街とも、港町とも言われる長崎は「路面電車の街」でもある。 鉄道の伝統を映して長崎電気軌道が計11.5キロの路線で1日1216本を運行し、かつて「アイアン・デューク」が走った通りでもが行き交う。 開業は1915年。 蒸気機関車に次いで開発された電気鉄道が京都で国内初の営業運転を始めて20年後のことだ。 尚、電気鉄道発祥の地は京都である。 バス事業も手がけたが、71年、他社との競合を避けて撤退した。 「時代遅れの乗り物に命運を託した」との声もあったが、近年、路面電車は「人にも環境にも優しい」と評価される。 20年以上、据え置かれた運賃は大人で100円均一。 「昔ながらのゆっくりした走りは街の風景。 大きく変わらないのがいい」と「長崎路面電車の会」の会長、坪口満明さんは言う。 大浦天主堂下の停留所で降り、坂を上ると旧邸が見える。 国内最古の木造洋風建築として知られる館の大食堂に「アイアン・デューク」の絵が飾られている。 長崎ゆかりの日本画家の作品。 機関車の周りで見物する和服の男女や、ドレス姿の貴婦人、弁髪の男らが描かれている。 幕末の志士も見ただろう長崎港がテラスの向こうに広がる。 海風を感じて、グラバーが運んだ「黎明(れいめい)の風」を思う。 つまり、営業路線としての鉄道の発祥地は、東京・新橋~横浜間ではあるが、その7年前に長崎市で運行されていたのである。 尚、世界で初めて鉄道の営業運転が実現したのは1825年。 英ストックトン―ダーリントン間の約40キロを、ジョージ・スティーブンソンの手がけた蒸気機関車「ロコモーション号」。 幕末、列強は日本に機関車模型を持ち込んだ。 佐賀藩士が53年、長崎に来航したロシア船内で模型を見学し、翌年、米国のペリー提督は幕府に模型を献上した。 日本は英米などの援助で鉄道の技術力を蓄え、93年に初の国産機関車を製造した。 国土交通省によると、2006年度、鉄道は旅客222億人、貨物5187万トンを運んだ。 同年度の鉄道車両受注数は5718両(2314億円)。 09年、日立製作所が製造した高速電車「ジャベリン槍」が日本製車両としては初めて鉄道発祥の地・英国を走る。 <追加> 以前 「スロトレ」でご紹介した、石井先生監修の「DVD付 スロトレ パーフェクトプログラム」が講談社から5月1日発売されました。 「これに私のお友達の"ヘンな人"?がスロトレで踊ってるらしい」ですが、こちらで見ることが出来ます。 →「一生太らないスロトレ」 動画あり 大学からアクセスの多い別ブログ ●別ブログ4/13の新着は「アトランティス伝説」 前回は「謎の企業 B-CAS社」 こちらも見てね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年05月03日 08時33分34秒
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