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madamkaseのトルコ行進曲

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 marnon1104@ お久し振りです (。≧ω≦)ノ!! kaseさんのお誕生日だったのですね。 お元…
 marnon1104@ Re:トルコでシュウマイはいかがですか?(07/08) kaseさん、こんにちは(*'▽')♪ …
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2015年08月19日
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【8月19日・水曜日】


 10日ほど前に小林正貴さんのご一家も含む10人のグループでコンサートに行った時、メフテル軍楽隊長デニズ大尉のもてなしによるガーデン・パーティのひとときと、そのあとの勇壮な軍楽隊の演奏に、みなさん掛け値なしの感動で、私も紹介者冥利に尽きる思いだった。

 小林さんのお母さん、悦子さんは来週日本に帰国するにあたり、明日20日からは軍楽隊が首都アンカラほか、地方都市への巡回公演があると聞いていたので、もし19日にコンサートがあるならもう一度観に行きたい、と話しているそうで、2日前に正貴さんから相談があった。

 9月第1週には、2日(水曜日)だけ、本部に戻ってくる予定のメフテル軍楽隊、私もしばしのお別れなので時間を作ってコンサートに行くつもりでいたので、ご一緒しましょう、ということになった。

 このところ、毎週水曜日には午後2時から軍事博物館の観覧席の下にあるプレゼンテーション・ルームで、陸軍イスタンブール司令部から将校が出席して約1時間シェヒットレル・アンマ・トレニ(戦没者・殉職者の追悼式典)が行われることになっている。

 悦子さんと二男の宏隆さんを、正貴さんが日本語の出来る友人メフメットさんに同行を頼んでくれたので、2時半ちょうどに正門の内側で会うことが出来、メティン曹長の指示通りそのままコンサート会場に進むと、途中の追悼式典会場入り口で止められた。

 私達のすぐ後から来たもとメフテル隊員のエルハンさんが警備兵に、私達がメフテル軍楽隊の招待客であることを告げて中に通してくれた。

 ちょっとだけドゥア(祈り)に加わり、式典が終わらぬうちに先に廊下に出た。コンサート・サロンの階段の下にあるカフェで悦子さんがみんなに飲み物を振る舞ってくれたので、喉をうるおしてからサロンに入った。

 コンサート・サロンでは陸軍関係の星のたくさんついた将校や佐官、尉官らしい軍服の人々もすでに着席しており、私達の席はメティン曹長から指令が来ていたらしく、中央席前から二番目の列に座ることが出来た。

 メフテル紹介映画が終わり、スクリーンがおもむろにスライドして庭が見えた。いよいよ行進が始まった。右隣の悦子さんはスマホで動画撮影の準備をしている。左隣の宏隆さんもすっかり構えて既に行進が始まるところから熱心に撮影していた。

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今日は中央からやや左側に座ったので、たいそうよく見えました。



 10日ぶりに見るコンサートはまた以前にも増して新鮮に見えた。トルコではこのところしきりにテロが起こり、国境に近い地方で連日のように軍人やポリスにシェヒット(戦没者、殉職者)が出て、トルコはたいへんな状況下にあるのだった。

 昨日あたりから、イスタンブール市内でもガラタ橋やタキシム広場のメトロの入り口に小規模な音声爆弾が仕掛けられ、発砲事件まであったり、イスタンブール日本総領事館から緊急注意報がメールで矢継ぎ早に送られて来るようになっていた。

 そう言う、得体のしれない嫌な事件を振りはらうような、痛快なメフテルの演奏に気を取り直して、退場行進で消えて行く隊列を見送った。ほどなく、デニズ大尉から携帯に電話が来て「舞台の袖に私がいるのが見えますか、正貴さんのお母さん達に、記念撮影のために私が戻って来ていると伝えて、舞台に降りて来て下さい」と大尉は言った。

 3人にはもう知らせてはあったが、舞台の袖に赤い服がちらちら見えたので、私は悦子さんや宏隆さん、メフメットさんに声をかけて急いで観覧席から降りて行き、帰国前の記念写真をデニズさんと一緒に写すことが出来た。

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これは、最後に悦子さん、宏隆さん、私がデニズさんと並んで、はい、ポーズをしたところです。
(写真:悦子さん提供)



「私、大急ぎで着替えてすぐに行きますから、メティンさんの部屋で待っていてくださいね」とデニズさんは、セダット警備隊長に「お客様をメティン曹長の部屋にご案内、頼むよ」と言い、急いで舞台裏に消えて行った。

 セダットさんの案内で、観覧席の裏口の方から多目的の広い部屋などを通り抜けて、メフテル棟の大きなエレベータで下におろして貰い、メティンさんも日曜で自分のいない時に来たお客さんが再び来てくれたことを知って大いに喜び、すぐに目の前の来客セットを勧め、ほかの部屋から人数分の椅子をふうふう言いながら自ら抱えて来てくれた。

 略装に着替えたデニズ大尉が間もなく来て、その場にキョスゼン(大太鼓奏者)のシェラフェッティンさんを呼んでくれた。私はメフテル隊員の中でも、一番の重労働者であるキョスゼンのよき理解者のつもりであり、シェラフェッティンさんの隠れファンでもあった。

 
 デニズ大尉がニコニコしながら向かいの机の前に座り、悦子さんに顔を向けると、悦子さんが「こんなに素敵なコンサートを、主人にもぜひ見せてあげたかったです。この次来るときは必ず揃ってまいりますので、ぜひともまたコンサートをお聞きしたい、と思います」と言うと、デニズ大尉は、「もちろんそのときはまた、私にも会いに来てくださいね」と笑顔で言ったので、悦子さんもなお一層、嬉しそうだった。

 大尉はまた、正貴さんの番組についても、「先週の土曜日当日は見られなかったので、Youtubeから見ましたよ。愉快ですねえ」ととにかく日本に行ってから大変な日本びいきになったと説明しながら、今日も宏隆さんや、親子をアジア側の家から連れて来てくれたメフメットさんにも話しかけて労をねぎらい、トルコ人の彼を感動させた。

 そのうちにシェラフェッティンさんが登場した。彼は軍人ではなく、軍事博物館の一般職員だが軍楽隊に籍を置いているのだった。

 大きな太鼓の前で、ひたすら指揮者の動きを見つめて、能面のように全く表情を動かすことなく、休みなく太鼓を打ち続けるのは容易ではないだろう。

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キョスゼン(大太鼓奏者)シェラフェッティンさん。(2014年9月10日) 


 8月2日にデニズさんに紹介されたあと、私にFacebookの友達申請をしてくれたので、メッセージでやり取りするうちに、彼の生まれ故郷のシリア国境の郡部クルクハンで、私が2006年にドキュメンタリーの撮影で3度に渡って滞在し、その辺りの事情に詳しく通じていたことを喜んでくれた。

 当時の写真から幾枚か彼の郷里の風景を送ったら、それをすぐに自分のFBページでシェアしてくれたりと、互いにとても親しみのもてる相手に出会えた、というのが感じられた。

Kirikhan  
南東部のハタイ県クルクハン郡の夕焼けが真っ赤です。
まるで空に、トルコの国旗がはためいているようです。

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ほうれん草かピーナツ畑、今となっては思い出せません。


 彼は40歳前後。これから小学校に上がる坊やと2~3歳の女の子がいると言うので、私の肩かけ袋の中にはその子達への小さなおもちゃやゼリーのお土産もあった。

 シェラフェッティンさんとは、その、ハタイ県のクルクハン郡のあたりでのみ、ラマザンの終わりごろに作られる「キョンベ」と言う大きなビスケットに似たお菓子の話で盛り上がった。この、キョンベについては、いつかブログに書きたい話がある。

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ハタイ県クルクハン郡一帯の人々がラマザンの終わりごろ
一斉に拵えると言う、キョンベ。高カロリーですが美味!


 
 メティン曹長も話に加わりたいのだが、明日からメフテル軍楽隊がアンカラに出張するために、いろいろ必要書類のことで、後から後から部屋を訪れる兵士や下士官達に対応しているために、とうとう会話に加わるチャンスがなかった。

 にもかかわらず、「もし帰りにアジア側に行くならうちの送迎バスにお乗り下さい」と声をかけてくれた。チャイも悦子さん達が飲み終わったのを見て、すぐに新しいのを兵卒に申しつけて運ばせる。本当に親切な人なのである。

 私のところには21年前に日本に行ったメンバーが3人も顔を出してくれた。「昔の写真、持ってるかい」と。あいにく今日はアルバムを持って来なかったので、「また9月2日に戻ってくるからその日においでよ」とみんなに言われ、おそらくイスタンブールにいるだろうから、つい、来ると言ってしまった。

 最後にメティンさんの部屋と、アタテュルクの肖像画のある広い廊下で記念撮影し、大尉以下大勢の皆さんに見送られて軍事博物館をあとにした。

みんなで  
メティンさんの執務室でみんな一緒に。まだ準備の出来ないうちに撮ったらしい。

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イエニチェリ姿の、若き日のムスタファ・ケマル。(のちのアタテュルク初代大統領)

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右からメフメットさん、宏隆さん、悦子さん、9月から少佐になるデニズ大尉、
ムスタファさん(チェヴゲン=コーラス)シェラフェッティンさん、私。



 タクシーでチュクルジュマまで来て、最近どこのと比べても一番美味しいと感じるイーイト・ギョズレメ店にご案内し、ギョズレメと飲み物を悦子さんにご馳走になった。

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全員ギョズレメを食べて、全員アイランを飲みました。メフメットさん、ご苦労さま。
悦子さん、どうもご馳走様でした。楽しかったですね。


 悦子さん達は、番組の企画会議に出席していた正貴さんと、カバタシュで待ち合わせることになり、私はタキシム広場への近道を教えようと途中まで一緒に歩き、そこで別れたのだった。

 思いがけず3度も会うことの出来た悦子さんと、また固く再会の約束をして、メフテル軍楽隊のコンサートもそのあとも楽しかったし、ギョズレメも喜んで貰えたし、たいそう満ち足りて家に帰ったのだった。









   かに座さそり座いて座
かに座さそり座いて座
















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Last updated  2015年08月21日 15時09分58秒
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