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カテゴリ:イスタンブール日々新たなり
【8月21日・金曜日】 今日はタマヨさんとお昼を食べよう、と以前から約束していた日である。タマヨさんは両替に、私は土曜日に隣人バヤジットさんの長男タイフン君の結婚式があるので、お祝い用の共和国金貨を買いに、トラムワイのエミニョニュ駅で11時頃待ち合わせ、揃ってグランド・バザールに出かけた。 それぞれの用事が済むともう12時、グランド・バザール内を通りぬけて、歩くにはやや遠いがメトロのヴェジネズレル駅に向かい、深い地下のホームに降りると、ちょうどいい具合にすぐに入線したハジュ・オスマン行きに乗ることが出来た。 レベントの五味(いつみ)レストランに予約を入れておいたので、店はほぼ満席だったが良い場所を取っておいて貰い、あれこれ選んだ結果、昼のメニューの中ではボリューム最高の五味定食を頼んだ。以前誰かに、あれは食べきれないかもしれない、と言われていたメニューに2人で挑戦したのだった。 五味定食。大きな天ぷらセットもついて、その他いろいろ。贅沢です。 天ぷら。大きな海老天2本、なす、カバック、ピーマン、ニンジン、お腹いっぱい。 タマヨさんもこれから本格的にトルコ語も勉強するとのことです。 お刺身を腹いっぱい食べたい、それが今の私の究極の願い。しょうがないなあ。 今年の夏は、タマヨさんにとってはある意味、最近見い出した自分のライフワークのスタートであり、私にとっても、10年くらい前に始めた自分のライフワークがしばらく滞っていたので、再スタートなのだった。 どうして再スタート、と呼ぶのかと言うと、これをライフワークにする、と決めたのだから、メヴラーナ翻訳に一路まい進すればよかったのに、コンヤで出会った鍼灸師に、メヴラーナの思し召し、かと勘違いしたばかりに4年近くに渡って一切無償のボランティアを手伝ったために、自分の仕事は途中で沙汰やみになってしまっていたのだ。この9月からは本来の自分の仕事に戻ろうと決め、再スタートするのである。 鍼のボランティアも、沢山の人が痛みから救われ、先生や私に感謝してくれたので、無駄ではなかったのだが、自分の仕事が完全に断ち切られてしまっていたことは否めない。私は自分の仕事に戻りたくてうずうずしていた頃、タマヨさんとも、メヴラーナの奥深さを何度も話して聴いて貰った。 タマヨさんが私に影響を受けた、と言ってもいいと思う。彼女がライフワークとして選んだものは、メヴラーナの比類なき師であり生涯の友である、シェムス・テブリーズィから入って、彼とメヴラーナの哲学・世界観などの研究に至ることらしい。 ヒェーッ、ライバル出現、と慌てふためいているときではない。たまたま、最近私が彼女に紹介した人がメヴラーナに縁があり、その人の手引きで、タマヨさんは即刻精力的に動き始め、コンヤにも単身乗り込んで、シェムスの廟にも詣でて来たという。 何か、ときめきを抱けるような対象に出会った時、人間は際限もなく自分も高まりたいと熱望する。今のタマヨさんが熱っぽく語る時、それはちょうど、シェムスと出会ったメヴラーナのような気分になったのだろう。 タマヨさんの間髪を入れぬ行動力には脱帽で、そのシェムスの墓所と言うのは、私がメヴラーナの翻訳で、定宿として何年も通い続けたアヌ・ホテルの真ん前にある、静かな松林の名残に囲まれた、シェムス・テブリーズィ・ジャーミイである。私も何度も足を運んだが、私にとってはシェムスはもう少し研究を進めてからでないと難しい。いわば第二段階で登場する人だ。 それを果敢にも挑戦するのだから、今、よくよく気合が入っているのだろう。タマヨさんは、シェムスやメヴラーナに関しては、英語からの翻訳で日本語に直すのだそうだ。もともと、メヴラーナやシェムスは、当時の最もハイレベルな言語であったペルシャ語で作品を書いているので、私が2005年頃からやって来た翻訳も、ペルシャ語からトルコ語に翻訳されたものから日本語への転訳なのである。 いずれにしても、誰が何を研究しても自由な世の中なので、私の友達がメヴラーナの研究を始めても不思議ではない。今日はタマヨさんがご馳走してくれたのも、私へ、筋を通した挨拶のつもりなのかもしれないと思い、遠慮なくいただいた。 合わせて五味レストランに来たことで、しばらく会えなかったかつての料理人仲間の純ちゃんや、故郷流山繋がりの板前、あつさんと再会出来たことで、私もきっぱりと自分の仕事に戻るけじめをつけることが出来たような気がする。 タマヨさん、ご馳走様でした。めでたく門出を果たしたので、これからは互いの路線で頑張って行きましょう。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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