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カテゴリ:チュクルジュマ界隈のこと、または猫ばなし
【8月22日・土曜日】 同じアパルトマンの1階下、7号室の住人ベヤジットさんとアイナ夫妻の長男、タイフン青年が昨日、めでたく華燭の典を挙げ、私達コムシュラル(隣人達)もお祝いに駆け付けた。私は午後2時にタクシーを予約して向かいのギュルセレンさんや娘のブケットと共に軍事博物館の後ろ側あたりにあるシシリー区の式場に向かった。 夏もそろそろ遠ざかって行く季節、ちょっと雲の加減で細かい雨が降ったものの、そのあとはいい天気で、式場での挙式は、区役所の結婚させる課の職員立会いのもとに夫婦になる宣誓式のみ。 そのあと、広いタク・サロヌで、タクという、新郎新婦の肩にかけたリボンにお祝いの金貨やお札をピンでとめて吊るしてあげる儀式である。 これは、新制のトルコ共和国誕生と共に、結婚式も簡素に、と採用された制度で、アタテュルクが発案者だと言う。 もちろん、金に糸目をつけない人の結婚式は豪華絢爛たるホテルで、何時間もかけてアルコール、トルコ料理の贅を尽くした晩餐つきの結婚式もある。ボスポラス海峡クルーズ結婚式もある。 私は花婿側の招待客なので、先に花嫁におめでとうを言って握手し、持参の金貨を花婿タイフンのリボンに着けるとき、「タイフン、おめでとう。V子にも知らせたら、とても喜んでおめでとうと言ってたわ」と伝えると、彼は神妙に「V子アブラによろしくお伝えください」と答えた。 自前のカメラを使うのは禁止で、業者が撮って売るのだった。ギュルセレンさんとブケットと私の3人で、記念撮影に収まった。 左からギュルセレンさん、花嫁ベステさん、花婿タイフン君、私、ブケットさん。 帰りもタクシーでチュクルジュマまで戻り、ギュルセレンさん宅でお茶をすることになった。私の服には裏地が付いているので暑いから、ギュルセレンさんの赤いタンクトップと半ズボンを借りて着替え、焼いたパンや野菜サラダを頂きながら果てしなくチャイをお代わりしつつ、女3人寄れば何とやら、薄暗くなるまで久々に世間話で過ごし、6時近くなって家に戻った。 しばらくして猫の餌を配りに降りて来ると、カプジュの妻が玄関のドアの前でプラスチックの腰掛けを出してどっしりと座っていた。 「ゼリハ、入り口の周りがひどく汚いから、あんた後で掃除してくれる?」と私は普通に言った。 するとその途端に、ゼリハは私を下から睨みつけて「何で私が掃除しなくちゃならないのよっ!」と大声で怒鳴った。 「えええ、ジャポン・テイゼ、どうしてあたしがここを掃除しなくちゃならないのよ、ええっ?、どうして私が掃除しなくちゃならないのよっ」 「何でそんなにでかい声で口答えするのよ。人間誰だって住んでるところの周りはきれいにしておきたいでしょ。見なさい、この煙草の吸殻だらけの玄関前を」 「バナ・ネ!」(あたしに何の関係があるの) 「バナ・ネ、とは何だ。あんた達もここに住んでいるんだから、たまには玄関前くらい掃除してもいいでしょ!」 「だから私がなんで掃除しなくちゃならないのよ。ジャポン・テイゼ、あんただってここに住んでるならあんたがやったらいいじゃないか、そんなに汚いって言うなら」 こりゃあ駄目だ~。人間の基本がなっていない。アパルトマンの掃除やメンテナンス、その他いろいろな用事をするために雇われているんじゃないのか、この一家は。 こんな女だからこそ長い間、私の財布から当人も当時14歳の娘もしょっちゅうお金を抜いていたのが発覚したとき、穏便に済ませてやろうと、間違いを諭したら逆に大文句を垂れて、近所中に「ジャポン・テイゼが私と娘のシベルを泥棒に仕立てた!」と告げて回り、みんなから「ははん、じゃあ、やっていたんだな、あいつら」と思われて、逆効果だったこともあったのである。 しかし、私はいままでも時々、わが家に泊めてお世話した人間が突然私を怒鳴りつけたり、大文句を垂れたり、何様のつもりか大威張りでいたことがよくあったので、変な奴らには驚かないし、そういう連中にはあとで天罰が下ると思っているのでその場ではそれ以上怒らなかった。 しかし、ゼリハは私の背中にさまざまにキュフル(悪口雑言)を投げつけた。ふん、何とでも言え。明日にでも天罰が下るからな、と思いながら、エレベーターの中で、せっかくのタイフンの結婚式や、ギュルセレンさん宅のお茶の時間のケイフ(楽しさ)が、あの女のせいで半減してしまったのは確かだ、と思った。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015年08月24日 03時21分45秒
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