|
カテゴリ:イスタンブールで人と会う
【8月28日・金曜日】 午後2時半頃家を出てタクシーを拾ったのだが、金曜日と言うのは会社や商店の支払日で、只でさえ混雑しているイスタンブールの交通は、めちゃくちゃ、と言うくらい渋滞し、クラクションを鳴らしっぱなしの車でものすごくうるさい。 いい具合に老練な、とても落ち着いた運転手さんで、わが家からすると、タキシム広場を通って軍事博物館に行く道と反対方向に進路を取り、若干遠回りにはなるが、渋滞に巻き込まれず3時5分前に正門に到着した。 メティン曹長に途中から電話を入れたら、有難いことに「タクシーで来るなら、正門の守衛に言っておくから、そのままメフテル棟へまっすぐに乗り入れなさい」とのことで、普段は歩いて行かなくてはならない長大な博物館の建物の一番奥にある、メフテル棟の入り口まで庭の通路を歩かず横付けして貰った。 メティン曹長の部屋には思いがけない人が待っていた。メフテル軍楽隊のヤルドゥム(副)メフテル・バシュ、メスット・ジョシュクンセスさんだった。メスットさんはデニズ大尉が休暇でコンサートに出られない時などに指揮者を務めるが、普段はチェヴゲンと言う、コーラス隊のメンバーである。 7月12日、メフテル軍楽隊コンサートにて。この日のメフテル・バシュは副隊長 メスット・ジョシュクンセスさん。私達の6人グループをもてなしてくれました。 6月半ば、日本から帰国直後再び遠征。ボスニア・ヘルツェゴビナでの公演 の後、花と馬の祭りで乗馬姿のメスットさん(ご本人のアルバムから拝借) 今年の夏は私も特に大勢のコンサート観賞希望者を案内したが、デニズさんの出演する日ばかりではなかったので、ときにはチョルバジュ・バシュ(総大将)のムラット中佐や、メスットさんが私の案内した来客を接待してくれたこともあった。 ところがこのメスットさんが、まだ46歳という若さで、早期エメクリ(定年退職)を希望して、軍楽隊から退いてしまったのである。7月19日、バイラムの最後の日に、彼の指揮するコンサートを観賞したのがメフテル姿の見おさめになった。今日は退職に伴う保険や諸手続きのために来たというメスットさんは、近いうちにロジュマン(官舎)を出て、イズミールに転居するのだそうだ。 「イズミールで何をするんですか、メスットさん」 「しばらく前から考えていたことがあって、家族の同意も得たので、新しい道に踏み出す決心をしたのです。準備が整ったらお知らせしますよ」 3時半から「ルトゥベ・トレニ」という、昇格・昇任者認定式が行われるとのこと。アンカラの陸軍軍楽学校の卒業式に、あるいは30日の戦勝記念日式典に演奏するため、留守になっているデニズ新少佐の代理で出席しなくてはいけないので、メティン曹長は「済みませんが30分ほど席をはずしますよ。じゃあ、メスットさん、由美子ハヌムのお相手を頼みます」と言いながら、出て行った。 そしてその間、メティン曹長の部下のイリヤスさんもいなかったので、メスットさんと2人でいろいろお喋りしながら時を過ごした。 たまたま私は21年前の写真集を持っていたので、それを見て貰っていたら、ちょうどそこにエルハンさんが入って来た。古い写真を見ながら2人は「あっ、これは誰それさんだ、いやあ、あの人も日本へ行ったんだね」などと話が盛り上がった。 エルハンさんも軍楽隊のジルゼン(シンバル)のリーダーだったが、この6月の日本遠征のあと、かねてから申請していた大学の博士課程で学ぶための休職願いを出していたのが通り、いまのところは軍楽隊から離れたところで勤務しているが、これらの書類上の手続きをしに来たのだそうだ。 トルコの軍隊にも、退職後のために公的な資格獲得や職業訓練などの教育を受ける権利や機会を持たせるよう、軍が支援する制度があるようで、それを知ったときはなぜかホッとするものを感じたものだ。 素顔のメスットさん。とても優しいゾウさんのような目の持ち主。 奥さんと13歳のお嬢ちゃん、6歳の坊やがいる、頼もしいお父さんです。 エルハンさん。生涯学習を実践するたいそうな勉強家。しかも雄弁です。 メスットさんとメティンさん。 やがて戻って来たメティン曹長は、デニズ大尉がめでたく少佐に昇任し、新しい帽章、肩章の着用が許されることになったと言った。そして、私の用件を聴いてくれた。この件については、水曜以降にイスタンブールのコムタンルック(司令本部)から答えが返ってくる。OKが出れば、それをもとに、私はとある行事に関して、デニズ少佐と打ち合わせに入るのである。 メスットさんは帰りがけに「2日の日に自分ももう一度来ますからまた会いましょう、由美子ハヌム。イズミールの家が引っ越し後落ち着いたらお知らせしますので、ぜひ遊びにいらしてください、それに、何かイズミール方面に御用のある時はいつでも私の家を宿にして下さい」と親切に言ってくれた。単なる社交辞令ではない、真心のこもった言い方だった。 以前はメスットさんともこんなに親しくなれるとは、夢にも思っていなかったのに、メフテル・バシュとして演奏に臨むときの厳しい顔立ちはどこへやら、まなじりに優しさの溢れた笑顔に強く惹かれるのを感じた。 思えば21年前のメフテル軍楽隊のみなさんと一緒になった日本行きで、帰還の日に成田に見送りに行き、撮った写真を人数分だけ焼き増しし、博物館に送ったときから、思いがけず並々ならぬご縁が生じたことは確かだった。 知り合ったメフテルのどの人も、メスットさんと同じように温かい笑顔と優しいまなざしや会話で応じてくれる。年齢から言えばとっくに人生のたそがれ時に差し掛かっているのに、私がこんなにときめいていられるのも、こういう人々に囲まれているからだなあ、としみじみ思った。 送迎バスのプールにメティン曹長が走って行って、その中の1台に私をタキシム広場の地下停留所で降ろしてくれるように交渉してくれた。メスットさんは私が乗るのを確かめた後、自分の官舎の方角に行く送迎車に走って行った。みんな親切、本当に嬉しく、来てよかった~としみじみ思った。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015年08月31日 03時24分54秒
コメント(0) | コメントを書く
[イスタンブールで人と会う] カテゴリの最新記事
|