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カテゴリ:イスタンブール日々新たなり
【8月30日・日曜日】 このところ、視聴率も高く人気番組のトップ争いをしている毎週土曜夜の「エリンオール」と言う、aTVのトークショー番組に、レギュラー出演している小林正貴さんのお母さんと弟さんが、突然ゲスト出演することになったそうだ。 8月19日(水)、メフテル軍楽隊のコンサートのあと、夕飯を一緒に食べているときに、「今度の土曜日に、あの子の番組にゲストで出るように言われて、スタジオにお邪魔するんですよ。何だか心配なんですけど」 喜びと困惑の入り混じった表情でお母さんの悦子さんは私に言った。 「あら、大丈夫ですよ。格好の人材が見つかった、って喜ばれるんじゃないですか。」 「でも、私って何も出来ないんですよ」 いや~、いつだったか正貴さんが忍者か何か知らないが、鎖帷子で刀を振りまわしているのを見たことがあるけど、まさかお母さんにまで飛んだり跳ねたりさせないだろうし、収録後1週間で、次の土曜日には放映されるのだそうだ。 普段滅多に見られないのだが、昨日は伊久子さんが到着し、夕方またシワスに行くので、シワスの行く先で伊久子さんを案内してくれる人々に、いろいろ挨拶もしておかなくてはいけないとメールを書いたり電話をしたりで忙しく過ごした。 エリンオールを見逃さないようにと、紙切れに「エミンオール、見る」と書いたものを台所やトイレの入り口、パソコン机の上に置いたり、予防に努めた結果、早くからaTVを点けっぱなしにしておけば見逃すことはあり得ない、と言う発見をしたので、夜はaTVを点けっぱなしにしておいた。 やがて11時半になり、いつの間にか番組が始まっていたので、さて、お母さんの悦子さんはどこにいるのだろう、と出演者より会場の観客に紛れ込んでいるケースが多いので、レギュラー達の後ろの方に見える観客席も目をギンギンにして見ていたら、意外と早く出番が来て、浴衣姿のお母さんが次男の宏隆さんを従え、さっそうと登場した。 イヤー、さすが正貴さんの母、舞台度胸が据わっている感じで、楽しそうに司会者が突っ込んでくるのをにこにこ笑って受け流している。それはもちろん、小林さんの通訳を聴くまでは分からないから却って上がったりしなくて済むのだろうが、それにしても落ち着いている。 何度か、アップになっても全然意識していないようすで、ごく自然体。宏隆さんの方が照れている感じで、正貴さんの天然コメディアン的素質は、これはお父さんでなく、お母さん側から色濃く伝わったのかな、などと思いながら見ているうちに、ブロガーとしての自覚を私が忘れてしまい、カメラはほったらかしで、急いで写そうとしたらピーピー音がして、シャッターが下りない。それもそのせいで残り枚数が「0」表示である。 幾日か前に遡って要らなそうなのを消し、やっと2枚が撮れたものの、もうアップの画面はなく、遠景ばかりだったが仕方ない。 小林悦子さん、テレビ初出演。落ち着いています。 それでもかっちりと台本のあるドラマなどと違って、トルコだと急にオファーが来て、明日出てくれ、と言うような話があまりに多く、昔、さる定評ある料理番組が、いきなり昼ごろやってきて、ビデオ撮りなのでやり直しも利くから心配はいらない、安心してやってほしい、と言われ、代表的な日本食を作ってくれ、と言うのだった。 ホテルのマネージャーが「またとない宣伝の機会」と同意したのだそうだ。 準備が出来次第、撮影を開始する、とのことで、ずい分焦ってメニューを拵え、トルコ語でそれを書き、ざいりょう料理を作る過程をトルコ語で説明しながら煮たり焼いたり盛りつけたりすると言うものだった。 あのときは焦ったなあ~。 そんなのって、普通もっと早くから知らせて来るものじゃなかったの、とびっくりしたけど、撮影クルーがもう来るーって言うときに言うんだもの。 ディレクターが女性で、半分くらい撮影が終わって休憩しているとき、こちらは台所であとの料理の準備に精を出しているというのに、声の吹き替えを用意しろ、とアシスタント・ディレクターらしい人に言っている。 「あのへたくそなトルコ語、どうにかなんないの」と彼女はご立腹のようである。 誰の? もちろん主演女優ならぬ、日本人コックの私のトルコ語がひどい、と言うのだった。仕方ないよねえ、まだトルコに来て2年8~9ヵ月。下手なのは自分でも分かっている。 すらすらと料理をしながら、手のうちにある材料を説明し、「さあ、それではこの私達の玉ねぎを微塵切りに刻んで、私達のフライパンで、私達の挽き肉と炒めます」と言うのだが、直訳すると、私達の玉ねぎだの、私達の挽き肉だのと言う言い方は、トルコ人じゃなけりゃ、スラスラ出て来やしないよ、も~う。 サロンで大声で喋っている撮影スタッフの声を聴きながら私は、台所の開閉自由なドアの内側で、水に戻した「私達の干し椎茸」を静かに刻んでいた。澄まし汁の用意をしていたのだった。 「ヘタと言うけど外人だし、かえって一生懸命らしくていいんじゃないか」と私をかばってくれたのはカメラマンのメフメットさん。ベテランのメフメットさんは、若い女性ディレクターより会社での地位が上。そのお陰で私がつっかえつっかえ説明しながら拵えた料理は、吹き替えなしでオンエアされた。 そのときから9年近い歳月が流れた2006年の2月、私は日本から撮影に来て、サクランボのびっしり成った畑を撮影したい、という日本の番組ディレクターの無理な注文を資料映像で我慢して貰うために、タキシム広場にほど近いさる映像会社に、映像を借りられないかどうか相談に行った。 そこでは映像のレンタル料で今一つ折り合いがつかず、どこかほかを当たって見ようと仕方なく席を立った時だった。ついたての奥から、190センチ以上は優にあろうという長身の、髪をポニーテールに結った男性が現れた。 「マダム加瀬、あなたでしたか」 「はい、マダム加瀬は私ですけど」 「私ですよ、NTVの料理番組で撮影に行った時、カメラマンだったのは、私メフメットですよ。いやあ、懐かしい。あのときの、あなたが作ったチョルバは素晴らしかった。溶いた卵が薄い色の汁の中で花が開くように広がって行く様子をカメラでばっちり捕らえた時は感動でしたよ。あの、濃くもなし、薄くもなしの味も絶妙でした」 椎茸と白髪葱、花ニンジンを入れた薄い醤油味の澄まし汁、行平鍋のなかをカメラは接近して、溶き玉子が広がる様子をアップでとらえていた。 当時のものを再現、今でもメフメットさんに出会えばこのチョルバ(スープ)の話が出ます。 私はそのとき夢中だったので、女性ディレクターの顔もカメラマンの顔もまったく覚えていなかったが、メフメットさんは私の話声を聴いて、もしかすると、と出て来てくれたのだった。 そして、高くて二の足を踏んでいたサクランボ畑の映像は、無料でコピーして貰うことが出来、その後、私はTVコーディネーターとして、何度もメフメットさんと組んで働くことにもなった。 小林悦子さんのテレビ出演から、自分の18年前の出来事を思い出してしまった。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015年08月31日 22時35分13秒
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