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カテゴリ:イスタンブール新発見/再発見
【9月27日・日曜日】 昨日、軍事博物館の帰り道は近くのメトロ、オスマンベイ駅からイエニカプ行きに乗って「ハリーチ駅」で降りた。ハリーチというのはトルコ語で、金角湾のことである。 ここは世界でも珍しい、と言うより今のところ世界にただ一つしかないのでは、と思われるが、幅の狭い湾とはいえ、海の真上に駅があるので電車が止まり、両岸のどちらかに用事のある人はどうするのだと、開通前にずい分と話題になっていたことがある。 鉄橋の真ん中にある駅で降りたら、夏なら泳いで対岸に渡る、とか渡し船が待っている、とか私もかなりいい加減なことを言って日本から旅行に来た友達を笑わせたものだが、単なる話題づくりに設置されただけのようで、実際にはあまり利用価値があるとも思えない。 駅から双方向に長い遊歩道がついていて、改札口を出ればそこを歩いてどちらかの岸に到達できる。電車に乗る人も同様に、歩道を歩いて改札口まで行くのである。 今まで何度か、駅に降りて次の電車が来るまで写真を写したり、友人に風景を見せて金角湾の周辺を説明してあげたり、とそういう場合にしか降りたことがなかったが、今日は美保子さんのいる店に寄るつもりだったので、ついにそこで下車したのだった。 ハリーチ斜長橋は支柱2本と太いワイヤーロープで支えられています。 駅の周囲に見えるのは何とも見事な景観であり、気分は爽快です。 橋脚はこんな恰好をしています。 歩道は吹きさらしなので今はいいが、これから雨の季節になる冬に向かうと、乗降客もずっと減ってしまうと思われる。海風が強いので帽子を飛ばされたり、持ち物を落としたりすればたちまち海の中に落ちてしまうことだろう。 歩道の中ほどで2人の若者が互いに写真を撮り合っていたので、 「お兄さん達~、私が2人一緒のを撮ってあげるから、私のも撮ってくれる?」と言うと「いいよ~」とすぐに2人で並び、私にスマホを持たせた。 「おばさん、写し方知ってる?」 「アーシュック・オルスン、ビルメズミイム」」(よく言うわね、知らないとでも思ってるの?)と笑いながら言うと、 「ごめん、ごめん」と彼らも笑い、和やかに互いのカメラを渡して撮り合った。 男の子が写してくれた私の写真。私のカメラは殆どの人(私も含め)が ピンボケに撮ってしまうのに、これはまずまず上手に撮れています。 「おばさん、トルコ語達者だね~。どこで習ったの?」 「あんたがたが生まれる前から住んでいたのよ、イスタンブールに!」 「だからか~。納得!」と2人は手を振りながら一足先にエミニョニュ側の岸に向かった。 ガラタ橋を通る時、このメトロM2路線の橋はすぐ近く見えるのだが、歩いてみると結構遠く、美保子さんの勤める土産物店に到着するまでに足が疲れて、ひどく汗もかいてしまった。 美保子さんはバイラムとその前に日本のシルバーウイークがあったので、多少のグループ客が見込まれると言うことで、店の全員が休みなしで出勤しなくてはならないと言う。 6時頃到着したのだが、考えてみると朝も昼も食べていなかったのを思い出した。ちょうどグループが来たので、店と同じ建物に入っているカフェでホットドッグとチャイを頼み、軽く腹ごしらえして美保子さんの客が引くのを待ち、店の従業員の若者達に「メフテル」のCDを配った。バイラムのプレゼントにするため、軍事博物館で10枚ほど買ってきたのである。 客が途切れると最近私達の身辺で起きた様々なことを彼女と話し合っているうちに、次第に空が暗くなり、秋分の日を過ぎてから、日暮れが一層早くなってしまったのを感じた。7時を過ぎたので家に戻ることにした。 私が初めて娘を訪ねトルコにやって来た1992年早春、一番印象に残ったのがエミニョニュの雑踏だったが、明日がバイラム最後の日とあって、エミニョニュはごった返していた。 エミニョニュの黄昏。スレイマニエ・ジャーミイが見えます。 サバサンド船の前はかくも大混雑。 ガラタ橋の上に見えるのはイエニ・ジャーミイ。どこも人・人・人の波 ガラタ橋をくぐって船着き場の沢山あるエミニョニュ埠頭にきました。 中秋の名月の1日前です。薄雲が張っていますがまだ見えていました。 幸い、トラムワイの先頭車両には空席があったのでほんの二駅ながら座ってトプハーネまで来ることが出来た。あとはボアズケセン通りの急な坂道をゆっくりと上りながら歩いて自宅まで帰った。 メフテル・コンサートでいいことがあったし、今日はゆっくりしようと決めたのだが、うちの猫の餌を配り、外の猫達にも配っていると3階のセダットさんがベランダから声をかけて来た。 友人の猫が4階から落ちてオムルガ(脊椎)を折ってしまったそうで、餌を配り終わったら家に来て協力してくれますか、と言うのだった。 15分ばかりのうちに猫の餌配りを終わらせると、私は階下のセダットさん宅に行ってみた。フランス人の妻イザベルさんがテレビを見ており、セダットさんが私を中に招き入れると急いでテーブルにラップトップを広げた。 どうやら猫の転落事故の話はダンナの友人の家で起こった出来事らしかった。まずはセダットさんが友人にFBのメッセンジャーで呼びかけると、相手もあちこちと通信しているらしく、しばらくしてから返事が来た。折れた骨の部分をレントゲンで写したフィルムも送られて来ていた。 出来ればあまり出費をしたくないので、応急手当で折れた脊髄を針金みたいなもので縛って固定する手術は施したが、本格的に手術するとなると2000リラ、3000リラもかかると聞いてビビっているのだそうだ。 セダットさんが猫に詳しいコムシュのマダムに来て貰ったので、どんなことを聞きたいか、とメッセンジャーに書くと、ではまず手術を緊急に明日の朝にでも頼みたいから、やってくれるという獣医を探してくれ、という。 そして値段も聞いてくれ、高いようならマダムの知ってる限りの獣医に連絡を取って見てほしい、と言うのだった。 まずはオズギュル先生から電話してみたが、バイラムで週末、しかも夜9時近くなっているので、何度かけても先生は電話に出なかった。 ジハンギルの2軒も同様で、電話しても出ない、とセダットさんが書くと、そのうちにメッセンジャーで、数軒の獣医のURLを送って来て、手分けしていろいろなところに電話をかけている、この5~6軒にはあなたが掛けて欲しい、と友人は言っているのだそうだ。 私も協力して電話を掛けてみたが、出ないかよくて留守番電話。時間ばかり食って、全然話がはかどらないのだった。とうとう11時近くなってしまったので、昼から留守にしていたことでもあり、せめてもう、こんなことをしている間にブログの1ページでも書いておきたいと思ったが、猫のことでおろおろしているセダットさんの友人や、猫本人(?)も可哀想でついつい居残り、結局11時半過ぎにやっと家に戻った。 私がいる時点ではまだどこの獣医とも連絡が取れずにいたので、どうしたかな、と思っても私自身もくたびれてしまって、数通のメールやメッセージに返事は書くのがやっとだった。 まずは帰宅したら、軍楽隊のコンサートで珍しい曲を演奏、ユスフさんの独唱を聴かせてくれたデニズ少佐に礼状を書くつもりでいたのに、それも出来ないうちにもう2時近くなって、とうとう私自身が沈没船のようにベッドに沈み込んでしまったのだった。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015年10月01日 15時03分27秒
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