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カテゴリ:これでいいのか、トルコ
【10月24日・土曜日】 去年の12月に、日本旅行中にまともに写らなくなってしまった、私のデジカメのことを知っていた北九州の熊さんが、自分のコレクションから、リコーの第一期デジカメやコンタックスのやや大きな、やはりクラシックとも言えそうなカメラをプレゼントしてくれた。 そのうちのコンパクトなリコー・デジカメを10ヵ月愛用して来たのだが、21日に軍事博物館でチョルバジュ・バシュ姿のメティンさんと並んで写して貰おうと、部下の若い兵隊さんに頼んで手渡したら、カメラが床に落ちてバウンドし、黒いボデーの洒落たデジカメはあえなく最期を迎えてしまったのだった。 次の日、22日の午後、イスタンブールの秋葉原と言われるドウ・バンクに、カメラの修理屋が何軒もあったのを思い出して、そのうちの1軒に修理を頼みに行ったが、リコーのカメラの修理は難しいので、直ったときには、廉価なものなら新しいデジカメが1台買えるくらいの修理代を貰うことになるかもしれない、とウスタ(修理職人)がノタマう。えええ、どうしよう。 迷ったが熊さんがかつての大事なコレクションを私に贈ってくれたからには、10ヵ月そこそこで壊れてしまったのでは申し訳ない。「出来ればそのカメラはもう一度使いたいから直したい、でも、直らなそうだったら、修理はしなくていいから私に返して」とウスタに頼んで預けて来たのだった。 しかし、今日あいにくの雨でものすごく寒い中、受け取りに行ったらまだ出来ていないうえに、お姫様カメラは直そうとして途中で諦めてしまったのか、バラバラに分解されたまま棚の上に置かれていた。仕方なく、もう一つの、12月まで使っていたフジフィルムのカメラの方は出来ているというので受け取り、修理代の140リラ(6000円くらい)をウスタに払った。 そのあと、友達の早苗さんとウール君に会う約束があったので、食事のあと3人で記念撮影しようとしたら、モニターで見た画面は何でもなかったのに、写したものを再生すると、白茶けた画面でぼやけており、ろくに写っていなかったのだった。 時計を見ると6時15分前。6時がドウ・バンクの閉店である。 「ええい、また修理屋に逆戻りしなくちゃ」と私は席を立って、閉店間際の修理屋に急いだ。早苗さんやウール君も同行してくれた。 「ウスタ、ちょっと何かを写してみてよ」とウスタにカメラを手渡すと、ウスタは憮然として手に取り、自分に向かってシャッターを切った。 ハミット・ウスタが直してから初めて、いま試し撮りをした結果。 「直したあと、試し撮りはしなかったの?」と私。 「うむ、しなかったんだよ。直ったと思っていたからさ。コントロールをしないで渡したから直っていないのに気が付かなかったんだ」 えっ、修理屋がこんなこと、言うの? 試しに写してもみず、直っていないのに気がつかなかったって!!! 結局そのカメラもまた月曜の夕方まで、という約束で預け、再度修理して貰うことになった。お金は払ったのに、修理に出す前とまるで同じ状態なのでは修理したことにならないではないか。 そして、月曜の夕方に私はカメラを受け取りに来る約束をして、納得のいかない気持ちながら仕方なく店を出たのだった。果たして月曜日にちゃんと直っているのかどうか、心配だが、まあ、トルコではこんな風なことも日常茶飯事なので「インシャーラー」とでも言うしかないのである。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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