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カテゴリ:これでいいのか、トルコ
【10月28日・水曜日】 昨日27日の朝、パソコンを開くと熊さんからのメッセージが入っていた。 リコーはメーカー系列の修理店でもないと本当には直らないかもしれない。修理が中止出来るなら中止した方が得策、日本なら修理するか処分するかは1万円が判断基準、という内容だった。 私もすぐに返事を書き始め、プレゼントして貰ったデジカメをこんな状態にしてしまい申し訳ない、と詫びた。ぜひとももう一度使いたいと思って修理屋に持ち込んだが、修理が難航している様子なので、やはり中止して貰うことにする、と答えた。 チャット状態で長いやり取りを続け、最終的に私は彼の理解ある助言に従って、リコーのデジカメは諦めることにした。9時半頃修理店に電話を入れると、ハミット・ウスタはまだ来ていないと言う。 「何時頃来ますか?」と聞くと「分かるもんかね。いつでも自分の好きな時に来て6時には帰るのさ」と電話の相手は苦笑しながら言った。 10時、11時と電話して3回目にやっと彼が来たと言って店の人が電話を替わった。ハミット・ウスタは「今日の夕方には約束出来ない」と言うので、「では明日の午後2時か3時には富士・フィルムのデジカメを貰いに行きます。あさっては共和国創立記念日で、お宅のお店も休みだろうし、どうしても写したい写真があるので必ず間に合わせてほしい」と約束させ、「リコーのカメラはせっかくやって貰ったけど、もう直さないでけっこうです」と伝えた。 かくて本日の午後2時頃、ハミット・ウスタが店に来ているかどうか電話で確かめたうえで何度目かのドウ・バンク行きを敢行した。 するとウスタは自分の作業机にいたにはいたが、私のフジ・フィルムのデジカメは付箋がついたまま彼の作業机の横の棚の上にあり、その隣にはリコーのお姫様カメラも分解されたままの姿でいまだに放置されており、彼自身は何かほかのカメラをいじっているのだった。 「ウスタ、昨日電話で話した通り、私は色の調節を直して貰ったフジのデジカメを受け取りに来たの。棚に載せてあるようだけど、修理は出来ているのかしら。今日こそカメラを貰って帰りたいのよ」と私は言った。 ウスタは、額に着けた拡大鏡を外しもせず、上をも向かずに「あんたとは口を利きたくないよ。俺は出来たとは一度も言っていない。勝手にやって来て出来たか、出来たかと急かすんじゃないか。もう口は利かない」 「ウスタ、何を言うの。月曜日の夕方に来いと言うから来たのにあなたは帰ってしまったし、私は昨日1日間を置いて、あなたの仕事をやりやすいように、今日の午後になったら取りに来る、と言ったでしょう」 ウスタは全然返事をしなかった。 「ウスタ、話をしたくないならしなくてもいいわ。私は独り言を言うから、それでも聞いてちょうだい。修理はあなたの仕事として引き受けてくれたのだから、直るものは直すのがあなたの役目でしょ。そして、直した時、直っているかどうか調べるのもウスタとして当たり前でしょう。それをしないで私に寄越したら、まだ直っていなかった。 そのカメラに関して修理代は言う通りに払ったのよ。お金を返せと言っているんじゃないでしょ。ウスタならウスタらしく誇り高い仕事をして、お客が満足したのを見て自分も満足した方がいいんじゃないの? 私は明後日の夕方までは待てないけど、今なら、エジプシャン・バザールにでも行って時間を潰して来るから、どうか仕上げて頂戴。リコーの方はそのままでも返してくれればいいわ、もう余計な手間はかけなくてもいいから、どうか約束通り、今日のうちに直してよ」 私は名刺を出して「ここに携帯番号があるから、どうか連絡をして。もう1週間も毎日のように来ているのだから、これ以上延ばさないでくれれば嬉しいわ」と頼んだ。 すると、ウスタが初めてカウンターの前にいる私を見上げて、拡大鏡をずり上げ「4時くらいまでには電話を出来るようにするよ」と言った。 「ありがとう。エジプシャン・バザールあたりに行っているから、呼ばれたらすぐに戻るわ」と私は店を出た。 やれやれ、と私は肩に食い込むショルダーバッグの重みが辛かったが、ゆっくり時間を潰しながらエジプシャン・バザールまで歩き、友達のワカさんが勤める店で休憩させて貰うことにした。 ここ何ヵ月も会う機会のなかったワカさんは私の顔を見ると喜び、ちょうど届いた7~8つのチャイの一つを目の前に置いてくれた。 もう3時20分くらいになっている。私は店のオーナーのエルダルさんとも会い、他愛ない世間話をしながら30分くらいいたろうか、4時ちょっと前にハミット・ウスタから電話がかかって来た。 「由美子ハヌム、お待たせしました。すっかり出来ているので来てください」と先刻とは打って変わった丁寧なものの言い方だった。「ありがとう、すぐに行きます。10分くらいのうちに着くでしょう」 私はエルダルさんやワカさんに礼を言って市場の外に出た。周辺の苗木や種を扱う店で猫の芝草の種を買い、ドウ・バンクの4階の店に戻って見ると、フジのデジカメの隣にリコーのカメラも直ってはいないが、組み立てられてカウンターに置かれていた。 フジのカメラではほんの小さなパーツの針金が折れているのに気付かなかったため、色が出なかったのだ、とのこと。そのパーツ代金20リラ(850円くらい)を払い、やっと昨年12月まで使っていたカメラは色調不良が直ったのだった。ウスタは私の写真を1枚試し撮りして、どうだい、と見せた。うん、悪くないと思う。 店のカウンターの内側から、ウスタが私を写した写真 「タマム」と言ったらハミット・ウスタは、もう自分はパイドス(終業)にするから、と隣のウスタに、修理依頼の申し込みに来て椅子に座っている客を全部回してしまい、私を素通しの隣の部屋(パソコンの修理室)に連れてゆき、椅子にかけさせて、チャイ屋に行き、自ら2つ持って戻って来た。 「由美子ハヌム、あなたはメヴラーナの研究者と名刺に書いてあるが、ひとつ聞かせてくれませんか。私はトルコで暮らしているが、イラン人でね、メヴラーナのことは勉強したのでよく知っています。それにその作品はすべてペルシャ語だから若い頃にほとんどを読んでいます。彼はどこからトルコにやって来たか、あなたはご存知ですか。また、それはどういう理由からか、などなど、わかりますか」 ウスタはいろいろと深いところまで聞いてきたが、もとより答えに窮することはなかった。だいぶ問答をした後で彼は言った。 「由美子ハヌム、メヴラーナとそのミュルシド(導師)であったシェムスィ・テブリーズィについての良くない噂を知っていますか」 「知っていますよ」 「どう思いますか、同性愛だったと言う話」 「メヴラーナは二度の結婚で4人の子供を儲けたとされているし、私には同性愛とはちょっと考えられないけど、高名な学者さん達がそう言う説を唱えていますね」 「もしそうだとしたら・・・どうですか?」 「ハミットさん、私はそんなこと、取るに足らないことだと思っています。男と女、男同士とか女同士、人を好きになるのに理由などありません。心の奥から、あるいは頭脳の命ずるままに、ときめきを感ずる相手がいれば、それはその人を愛したことになるのです。ときめく相手があって人は初めて恋とか愛とかのために、一生懸命になれるし、学問でも芸術でももっと相手に認めて貰いたい、進歩させたい、と思うようになりますよ。 強いて言えばメヴラーナは、神様に恋をしていたのだと思います。そしてシェムスィはメヴラーナに神を感じさせる相手だったと思います。彼の残した人間としての業績を思えば、彼がホモでもレズでもどうでもいいことです。そんなことを取りざたする方がいやらしいですよ」 私がそう言いきった途端、ハミット・ウスタは私の右手を取り、自分の額に押し当てた。これには私が驚いた。親しい間柄でもない人に、そんな最敬礼をされることはまずはない。 「由美子ハヌム、ありがとうございます。私もそう思います。2人がどういう関係であっても、そんなことはどうでもいい。メヴラーナはシェムスィがあってこそ偉大な業績を残し、シェムスィもまたメヴラーナがいたからこそ、燃え尽きるまで自分を発揮できたのだと思います。実は私も自分なりにメヴラーナを研究しています。 ペルシャ語もトルコ語も私には母国語みたいなものです。今後はあなたの研究の手伝いをします。ペルシャ語についてならいつでも聞いて来て下さい。ペルシャ語の本もたくさんあります。メヴラーナが私達を引き合わせてくれたと思います。どうかまた話をしに来てください」 あの、無愛想だったハミット・ウスタは一体どこへ行ってしまったのか、と私は内心驚きながら彼と握手して店を出た。彼は走って行ってエレベーターのボタンを押して呼び、ドアが閉まるまで見送ってくれた。 さて、不思議なこともあるものだ。私の名刺にメヴラーナ研究者と書いてあったからか、それとも私の説得に感じ入ってくれたのか、よく分からないが、一気に態度が軟化したことは確かだった。そして私の「同性愛説への見解」に非常に感動した様子だったことも納得はできるがやっぱり不思議である。 しかしながら、かつて、コンヤのメヴラーナのお膝元で、やはりメヴラーナに奉仕したいという日本のボランティア志望の鍼灸師に出会い、何年にもわたり自分を投げ打って何から何まで無償で手伝いをしたのに、だんだん偉そうな態度になってしまって、さすが鍼灸師、あまりに痛いハリをちくちくやるため、私がひどい目に遭って血圧がはねあがり、自律神経失調症に陥ったこともある。 しかも、コンヤがらみでは一度ならず二度もナンキョル(恩知らず)人間に遭遇したのだった。ハリと同じ頃に現れた大阪弁のおばばである。ダブル・パンチでコンヤがらみで知り合う人に注意をしなくては、と思う。 だからこの、ハミット・ウスタがそう言ってくれたからと言って、すぐに信じ込むのも問題だ、と半信半疑ながらも、帰り道、お姫様カメラは駄目になってしまったが、もう一つのデジカメが直って、写真が写せるようになったことが嬉しくて、私は足取りも軽くなってわが家に戻って来たのだった。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015年11月08日 16時31分19秒
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