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madamkaseのトルコ行進曲

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 marnon1104@ お久し振りです (。≧ω≦)ノ!! kaseさんのお誕生日だったのですね。 お元…
 marnon1104@ Re:トルコでシュウマイはいかがですか?(07/08) kaseさん、こんにちは(*'▽')♪ …
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 madamkase@ Re:渡航記念日(03/16) marnon1104さん、こんにちわ。 3月に書い…
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2015年10月31日
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【10月31日・土曜日】


 昨日、美由紀さんやイルケルさんと会う約束の前に、私は向かい側のビルの3階に住むユルドゥズさんの家に、お茶に呼ばれて1時間ちょっと訪問した。

 月曜日(26日)に、イルケルさん、明美さん達とトゥルンジュ・パンパンにいた時声を掛けられ、「私、あなたの向かいのコムシュ(隣人)よ~」と言われたので、最近、向かいの3階のバルコンでよく煙草をふかしている、あの女性だとわかったのである。

 夕方、チュクルジュマ通りで暮らす外猫に餌を置いてやる時、何度か「Kolay gelsin(コライ・ゲルシン、あなたのやっていることがスムーズに行きますように)」と声をかけてくれて挨拶を交わしたことがあるのだ。

 乞われて電話番号を告げたら、翌日から2度ばかり家にお茶の誘いを受けたので断りきれず、昨日またイルケルさん達と会うためにトゥルンジュ・パンパンに出かける前に寄らせて貰ったのだった。

 ユルドゥズさんは今年の初め頃まで、とある物流会社のマネージャーだったそうで、定年退職し、今夏はしばらくアメリカの長男一家のところで暮らし、9月から次男の住むこのチュクルジュマのアパルトマンに来ていたのだという。ベイオールの北のシシリー区の方に自分の家もあって、改築中なのだそうだ。

 私のことはトゥルンジュ・パンパンで聞いたらしく、日本人と知るとブッダの生涯について知っていることだけでもいい、教えてほしいと言うのだった。

 うろ覚え程度の知識ではあったが、涅槃にいたるまでの釈迦の生涯をダイジェスト的に話すとそれで満足してくれたので、ダライ・ラマを例にとって、仏教の輪廻転生などの話も少しすると、目を輝かせて聞いてくれた。

 カメラの修理職人ハミット・ウスタと言い、ユルドゥズさんと言い、どういうわけか、このところ続けて宗教問答のような話をすることになったが、そういう話は概ね気分は悪くなかった。

 この家の以前の住人であったケバブ屋のナズミさんと妻のハシベさんがいた頃、その上の階の女性建築家プナルさんとも仲良くしていたことがあるので、このアパルトマンにもときどき来たことがあるが、ハシベさんもプナルさんも転居してからだいぶ年月が経っていた。

 ユルドゥズさんがコーヒーの入れ替えに台所に立ったとき、しばらくぶりに窓から自分の家を見てみると、なんとまあ、留守がちでろくにカーテンを全部開け放したことがないので、自分には全然見えなかったが、サロンの壁から窓にかけてすっかり蔦が絡んでしまっているのが見えた。

Ilgaz ap.  
向かいの3階から見た4階のわが家(バルコンに何もない家)。蔦がはびこってきていました。 ショック



 なぜか、突然1972年(43年前)に大ヒットし、その暮れのレコード大賞も獲得した、ちあきなおみの悲恋の歌「喝采」の、間奏のあとの二番の歌詞が口をついて出た。

 蔦が絡まる白い壁~、
 細い影長く落として
 独りの私は
 こぼす涙さえ忘れてた・・・


 「喝采」  こちらから


 スロー・バラードの響きが切ないこの名曲は、4歳と2歳の娘と息子を育てながら、和文タイプの内職に励み、翌年のタイプ教室開業を目指して懸命に資金を貯めようと頑張っていた29歳の私が、聴いては泣き、泣いては聴いた「心の歌」だった。

 私は反対する親を拝み倒して結婚にこぎつけた頃、夫を、酒もほとんど飲まない優しい人だと思い込んで愛していたので、誤った選択をしたとは思っていなかったが、早くもそうではなかったことがはっきりして、その歌に涙する頃には、既にこの子達を育て上げた暁には、という誰にも言えない固い決意を胸に秘めていたのだった。


 あれからもう、43年も経ってしまっている。向かいのビルから蔦の絡んだわが家を見た時、お洒落な教会堂の白壁でもないところに、こんなに蔦がはびこってしまっているのは、とりもなおさずバクムスズ(掃除や手入れをしない)状態だと言うことに他ならない。

 深い後悔に胸を締め付けられた。

 毎年必ずあることなのだが、振りかえって見ると、今年の正月早々から、私の身辺では面白いと言うか不愉快と言うか、とある現象があとあと起きて来た。

 今まで友人だからと思って、私がわが身を顧みずいろいろ協力して来た人間達が、次から次へと、私が一番忌まわしい人種と思っているナンキョル(恩知らず)の正体をあらわにして私に迫り、もう今年だけでも5本の指では数え切れなくなっていることだった。

 ひたすら自分の都合だけを主張して無理にわが家に泊まり込み、私に対してやらかしたことは棚に上げて、ヒステリックに私に絶縁状を突きつける女とか、表向きにはへらへらとお世辞笑いをしながら、陰で私のないこと・ないこと(あること・ないことではなく、あらましウソ)の悪口三昧を言っている女とか、私が大事な頼みごとを叶えてあげたので、そのお礼にと10年も前に賞味期限の切れた、捨てるべき食材をしゃあしゃあとまとめてよこしたペテン師オヤジなどもいた。

 このほかにも腹にすえかねることばかりする連中がまだ沢山いる。まあ、幸いにして大きな損害を被らぬうちにみんな自ら正体を暴露してしまい、私の前から消えただけでもさっぱりしたし、今後はそれらと類似の人間にはもう甘い顔を見せまい。つくづく嫌気がさした。
 
 いままで世のため、人のため、と思えばこそ見返りもなく駈けずり回ってきたが、もうきっぱりとおしまいにしよう。時は金なり、ムヒカ大統領の言葉にもあったように、残された大事な時間は自分のために使うのが正解だと思う。


 蔦が紅葉し終わってすっかり枯れたら、それこそ本腰を入れ、自分が枯れてしまわぬうちに窓の周辺の手入れでもすることにしよう。それが私の心の手入れにもなると思うし。








   かに座さそり座いて座
かに座さそり座いて座



madamkaseのトルコ本 「犬と三日月 イスタンブールの7年」(新宿書房)




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Last updated  2015年11月10日 15時15分03秒
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