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カテゴリ:日本を思う/日本にいる人々を思う
【11月2日・月曜日】 結婚1年半後に娘を産んだ時、取り上げてくれた産婦人科の医者、荒井先生は、新生児の処置が済むと沐浴してきれいになった赤ちゃんを看護婦(当時の名称)の塚田さんに抱かせて見せに来てくれた。 「やあ~、実に軽いお産でしたよ、おめでとう」と、分娩室で精根尽き果てている私に声をかけてくれた。そして、1時間足らず前までお腹の中にいた子をこの腕に初めて抱いたのだった。 軽いと言われたのがあの痛さか・・・してみると、難産の人の苦しみはすさまじいものだろうと思った。 まだ夜が明けていない。前の晩に入院してからずっと不眠不休で、陣痛に苦しむ私の腰をさすりながら付き添ってくれていた同居の姑に手伝って貰い、私は既に決めてあった娘の名前を呼びつつ、初乳をつけた。 当時の新生児としては2600gが標準だったのに、V子は3400gもあった。 その日の朝11時頃、消防の夜勤明けのその足で、私の実家の母を迎えに行った夫が車で到着した。私の母にとっては45歳で初孫を持ったことになり、高校生のようにはしゃいでいた。 ババアンネ(父方の祖母)に抱かれた生後1ヵ月余のV子。この日は私の母が正月も近いので、女児に贈る羽子板をお祝いに届けてくれた日だった。 写真の管理も悪かったのでもう色あせてきてしまいました。 これも同じ日、アンネアンネ(母方の祖母)に抱かれて大きな目を見開くV子。初孫を見た私の母が言うには、「V子はお前とブンヌキだよ」とのこと。 そうかもしれない。顔からスタイル、性格までそっくりで、瓜二つと言われる。ブンヌキというのは、母や私やV子の生まれ故郷、千葉県東葛飾地方の方言で、まるで型で抜いたようにそっくり同じ、という意味である。 この赤い半纏は、母からのプレゼント。12月の中旬のことでした。 去年の4月、イスタンブールに来た娘と22年ぶりにアヤソフィア博物館に行った時。 しかし長い年月が過ぎてしまったものだ。 今日は娘には電話でお祝いを言い、少しだけ話をした。仕事帰りだったそうで、電車がホームに入って来たのでそこで終わりになった。 トルコの選挙結果はまたAKP(公正発展党)の単独内閣が継続されることになり、アンカラの103名の犠牲者を出したテロ事件は、終焉を告げて今後収まるのかどうか、予断を許さないだけに、親子の会話も湿っぽくなりがちである。 先行き不透明なトルコでも、せめて明るい話題を見つけながら回復を待つことしかなさそうである。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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