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カテゴリ:日本を思う/日本にいる人々を思う
【3月26日・日曜日】 13日目に往年の速攻で攻めてきた日馬富士に敗れて土俵下に落ちた際、左肩と胸とを強打したのか、我慢強い稀勢の里が起き上がろうとして大きく顔をしかめ、目を閉じて後ろにいる検査役に一瞬もたれかかりそうになったとき、誰もが「明日から休場するかも」と思い浮かべたと思う。 私も、あああ、ここまで全勝で来たのに・・・と稀勢の里の不運を嘆いた。 親方が稀勢の里が出ると言っているので休場はしない、と前夜報道陣に語ったものの、14日目も鶴竜に敗れ、大関照ノ富士との直接対決で、左腕に力の入らないままぎりぎりのところで相手をねじ伏せ、優勝決定戦に持ち込んだ時も、淡々として感情を表に出さない。 そして優勝決定戦の小手投げが見事に決まって、並々ならぬ技量の新横綱の誕生であったことを自ら立証したのだった。左肩と胸まで覆うテーピングの下に痛む傷を隠し、休場もせずに最後まで土俵に上がった、この人もまた土俵の鬼となり、国歌斉唱の際、感極まって滂沱と涙を流す姿を見て、私も思い切り泣かされた。 稀勢の里、君が代の斉唱に涙が止まりません。 天皇賜杯を抱く晴れ姿、我慢強く努力するタイプの人に明るい光が当たったようです。 辛抱する木に花が咲く、まさにことわざ通りの、本当の成功者が語る「ドヤ顔」しない優勝の感想コメントがとてもいい感じ。これからも精進して、安心して見ていられる横綱として相撲界をけん引して行ってほしいと思った。 順調に勝ち進んで、稀勢の里が全勝と言う成績で賜杯を握ったとしても、これほど感動を呼ばなかったのではないか。とにかく凄いものを見せて貰った。全勝よりすごい優勝ぶりだった。 1919年、オスマン帝国の名誉ある凱旋将軍でありながら、セーブル条約の締結で、分割される寸前だった故国を救うため、若人にげきを飛ばし皇帝に反旗を翻して革命を起こしたムスタファ・ケマル将軍は、絶望的な状態から4年半近い内戦を戦いぬいて、主権在民・政教分離・世俗主義の三原則で、民主主義の新生トルコ共和国を打ち立てた。 その結果、今のトルコがある。国の隅々まで政治が行き届くように、とアナトリア内陸の盆地にある小さな町アンカラに遷都、世界に先駆けて、女性に参政権を与え、議会主義を確立させたのだった。彼は初代の大統領となったが一夫一婦制を普及、難解なアラビア文字を廃して、アルファベットを導入、文盲率の低下に寄与した。後にこの英雄に国民議会は「アタテュルク」の敬称を贈り、ムスタファ・ケマル・アタテュルクは国の父として慕われるようになった。 トルコは4月16日(日)に議会制から大統領1人に権力を集中させる大統領府制に移行させようとしている。 イエスかノーか、国中が沸いている。果たして「Evet(エヴェット=はい)」か、「Hayir (ハユル=いいえ)」と真っ二つ。 どうなるのかは、アッラーだけがご存じ! とても難しい投票だと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017年03月27日 07時50分06秒
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