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カテゴリ:イスタンブール日々新たなり
【11月4日・水曜日】 先月、新メフテル軍楽隊(留守部隊)のデビューの日(10月21日)に、チョルバジュ・バシュ姿になったメティンさんを訪ねて行ったきり、ご無沙汰していた軍事博物館を訪ねた。 2時頃タクシーから降りてみたら、前庭にも、奥への通路にも、あちらこちらに小学生の団体がやって来ていたので、正門の外からでも、一目で今日のコンサートは大賑わいだな、と分かった。 10月20日にバスでアンカラに向かって以来、29日の共和国創立記念日に出演し、30日の夜にはイスタンブールに帰って来たメフテル軍楽隊にしてみれば、久々の本舞台である。 私はメティンさんや、次々に総務課にやって来る人々とも挨拶したり歓談したりしながら3時を待った。 そして3時5分くらい前にコンサート・サロンに行ってみると、おやおや、場内はたいへんな賑やかさ。先ほど前庭で見かけた子供達や付き添いの親達、その他のグループの人々が既に着席していて、久々にこんなにたくさんの聴衆を見た。 場内整備の黒い背広姿の若い兵士に案内されて正面前から3列目の左端の見やすい場所に落ち着くと、茶色の軍隊作業服姿の若い兵士達が最前列と二列目に大勢並んでいた。 彼らは8月末に召集され、9月いっぱい訓練期間を経て、10月からこの軍事博物館に配属された義務兵役の若者達であろう。 メフテル紹介映画の後、今はもう寒くなったので正面の大扉は開くことなく、チョルバジュ・バシュが単身登場し号令をかけると、早速行進曲が始まり、2階の階段から隊列が旗手を先頭に降りて来た。楽器を持つ隊員はすべて舞台のそでから登場する。 場内は割れんばかりの拍手喝采である。チョルバジュ・バシュのムラット中佐を先頭に、それぞれの楽器を手にした隊員が行進し定位置について演奏が始まった。 定位置について、スタンバイ、緊張の一瞬です。 ムラット中佐も久々の登場。やはりこの人は威厳があり、ぴったりです。 キョスゼン(大太鼓奏者)、今日はイルハミさんでした。 ナッカーレゼン(二連小太鼓奏者) ダブルゼン(中太鼓奏者) チェヴゲン(コーラス隊) 新メフテル・バシュ(デニズ少佐の副官) 場内は近頃にない大観衆でした。回りの席は空いていても、後ろで立ち見の人がいっぱい。 ズルナゼン(木管奏者)、左端のリーダーのしるしの赤いコスチューム、ハミットさん やはりコンサートのフルメンバーでの演奏はさすがに迫力満点で、今日はメフテル・バシュがデニズ少佐ではなく、先月デビューした留守部隊のメフテル・バシュ(まだ名前を聞いていない)。 見事なコンサートが終わり、記念撮影サービスが始まったので、私がメティンさんの部屋に戻ると、ズルナセン(木管奏者)のリーダーのハミット・ハナイさんがもう私服に着替えてメティンさんのところにやって来た。 もう何年も前からよく知っている人だったが、先方も私を見知ってくれていたのだそうで、初めて挨拶を交わし、それからは急に打ち解けて「自分には日本人の弟子が一人いてね、ノブという名前だけど、知ってる?」とその人の話をしてくれた。 私が「何か楽器をやりたいんですけど、おもちゃの笛も吹けないんです」と言うと、ハミットさんは笑いながら、「自分も最初はそうだったけど、やっているうちに必ず吹けるようになりますよ」と励ましてくれた。 彼はズルナの芸術家として名前の通った人でもあるので、私もこれを機に、大道で風呂敷を広げて南米の土産物を売っていた、インディオのおばさんから10年くらい前に買った素朴なケーナをもう一度試してみようと思った。 それはそのおばさんの手作りだそうで、買い上げのお礼に、と「コンドルは飛んでゆく」をびっくりするような音色で吹いてくれたのだった。 私はこの曲が小・中学生のころから好きで、勤めに出て給料を貰うようになったり、結婚後も自分で稼いでいたので、何度もケーナを買って挑戦したのだが、どの笛もプーとも言わないのでその都度諦めてしまい、全部人にあげてしまったのだった。 これだけは手放さなくて良かった、笛で駄目なら背中も掻けるし、と取っておいたのが正解。 インディオのおばさんの笛はおもちゃのように鳥やきれいなデザインが付いているが、材料の葦が微妙に湾曲していて最初出来そこないのハネ出し品なのかと思っていたが、その音色を聞いたら、これだけは手放せなくなった。 メティンさんに久々にエスコートされながら正門の前まで送って貰い、それからタクシーでエミニョニュに向かった。そして日本から戻った美保子さんに3週間ぶりに会いに行ったのだった。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015年11月14日 04時20分39秒
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