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カテゴリ:イスタンブールで人と会う
【2016年1月3日・日曜日】 今年の元旦だけは晴天になったものの、12月30日の夜半からイスタンブールは猛吹雪で、大晦日は朝から晩まで降り続き、一面の銀世界になってしまった。 3日の朝、トプハーネ駅の付近でまだ見られる雪の名残り 気温が低く、雪はいったん止んだが、そのまま元旦の景色を白一色に塗り潰し、2日には断続的にまた降雪が始まった。私は最悪の場合を考えて空港までジハンギル・タクシーのアリさんにタクシーを予約しておいた。 3日の早朝、関西空港から着く飛行機で、トルコ語留学に来る青年Kさんが、娘の頼んだ私宛の荷物を運んできてくれるのである。 夕べ搭乗の始まる少し前に、Kさんから電話が来て、夜11時発の予定が、45分遅れで出発することになった、と知らせがあった。それならば朝も少し余裕を持って出られる。 朝4時に起きて外を見ると、雪もみぞれももう降っておらず、これなら幹線道路では楽に走れるかもしれない、と思えた。それならタキシム広場までタクシー、そのあとシャトルバス、ということも考えられるが、予約を断ってしまっては気の毒に思えた。 暮れの27日にアジア側に出かけた時も、同じ方向に帰宅する運転手のアリさんとアスランさんが自家用車を交互に出し合って一緒に通っているので、その車で料金を払わず連れて行って貰ったし・・・と考え、やっぱりキャンセルせずにタクシーで行くことにした。 6時、まだ薄暗い中、家の前に来たタクシーに乗って出発すると、さすがにチュクルジュマの狭い道にはまだ雪が積もったまま残っていて、ここを歩くのは容易ではない、タクシーが正解だったと思った。 ボアズケセン通りのビュッフェで、アリさんがチャイを買ってくれました。 途中で運転手のアリさんが朝食ビュッフェでチャイを買って来てご馳走してくれた。彼はジハンギル・タクシーの最古参の1人で、もう21年越しの友達でもある。幹線道路は早朝だからまだ空いていて、アリさんは無理な運転はしないが、それでもかなりスピードを上げて、空港には6時半ちょうどに着いた。 セキュリティを通り、ほどなく電光掲示板を見てみると6時40分、Kさんの乗った飛行機に着陸したとの表示が出た。空港内も空いていた。これなら1時間かからずにロビーに出て来られるだろう。やがて7時15分過ぎくらいにKさんは、いまパスポート・コントロールにいるので、終わったらほどなく出ていきます、と電話をかけてくれた。 トランジットで国内線の搭乗まで数時間あったのだが、日本からの到着が既に1時間余り遅れたため、市内に出るにはやはり戻り道に不安があるので、空港内のカフェで軽いものを食べながらお茶をしましょう、ということになった。 私への荷物を運んできて貰ったので、そこでのチャイやパン代は自分が払おうとしたのだが、彼は手を振って私には払わせず、有難くご馳走になってしまった。トルコ語習得四方山話をしながら時間を過ごし、やがて10時を過ぎたので、Kさんもそろそろ国内線の搭乗口に向かう時刻になり、セキュリティのところまで見送った。再会を約束して別れ、彼は張り切って搭乗口に消えて行った。 10時25分、私は朝の運転手アリ・シャーヒンカヤさんに電話をした。友達を見送ったら、一度俺に電話してみな、自分はよく空港に行くことが多いから、もしうまくそうなれば、帰りは料金はいらない、家の前まで連れて来てやるよ、と言っていたのだった。 「アリさ~ん、どこにいるの?」 「今、事務所にいるよ」 「15分後にタキシム広場行きのバスが出るの、それに乗って帰るから大丈夫よ」 「そうか、悪かったな」 「平気、平気、そう言って貰えただけでも嬉しいわよ」 ハヴァタシュ・オトビュスが停まっている。私は乗客係の青年に尋ねた。 「アブデュルラフマンさんは今日働いていますか」 「ああ、来てますよ。でも今日は国際線の乗り場です」 2011年ごろ、タキシム広場と空港を結ぶシャトルバスに、新しくハヴァタシュと言う会社が参入し、それまでのハヴァッシュという会社の14リラを大きく下回る10リラで運行を始め、ちょうどまだ開業1週間くらいのところで、ほとんど乗客がおらず、混雑しているハヴァッシュのバスの後ろで、手持無沙汰に立ちつくしていた青年アブデュルラフマンさんと知り合ったのだった。 ハヴァシュが14リラで大繁盛しているところに、10リラで価格破壊を目論んだハヴァタシュが、最初は誰も知らなくて苦戦したが、やがてハヴァッシュを追い落とし、イスタンブールのドル箱路線はハヴァタシュの独占となった。アブデュルラフマンさんと私は、空港で会うたびに親しさを増して行ったのだった。 彼は2年前位に結婚し、この12月下旬に女の子の誕生が予定されていた。でも今日は会えないかもしれない、と思いながら私はタキシム広場行きのバスに乗り込んだ。 15分くらいしたらバスは発車し、国際線のハヴァタシュ乗り場に向かった。そのときである。携帯が鳴って、「ユミコ~、いまどこだ、俺は空港行きの客がついたので、その人を国際線に送り込んだら、お前さんを迎えに行くことが出来るんだけど、待てるか?」と言うのだった。 私は「ちょうどバスに乗っていま国内線から国際線に向かってるの。降ろして貰うからあとでどこで待ってるか連絡を入れるからね」と言うと「よし来た、待ってな!」とアリさんも喜んだ。 私はバスのカプタンに頼み、ちょうど国際線出口で停まったところで降ろして貰った。すると、ボックスの中にあの、アブデュルラフマンさんが後ろ向きに座っているではないか。 わあ~っ、とハグして再会を喜び合い、赤ちゃんのことを聞くと、なんとクリスマスイヴの12月24日に生まれ、女の子の最もポピュラーな名前、エリフちゃんと名付けたと言う。生後10日、奥さん似の可愛い顔をしていた。 アブデュルラフマンさんは、私にボックスの前に停車している空っぽのバスに乗るよう勧め、そこでチャイを淹れてくれた。私を乗せて来たタキシム広場行きのカプタンも、発車までの5~6分間にチャイを飲みに後ろのバスに移ってきた。そのバスは職員の休憩用に常時置かれていて、帰りには彼らを乗せて自宅に送り届け、最後は本社に戻って行くサービス・バスになるのだそうだ。 クリスマスイヴの晩にお父さんになった、アブデュルラフマンさん やがて、アリさんのタクシーが空港の入り口まで来たと言う電話がかかって来て、私は自分のいる場所を正確に彼に告げた。お客さんも国際線に乗る人だったようで、すべてことがうまく運んでいる。 チャイのお礼を告げて私がバスから降りると、アブデュルラフマンさんは一緒に降りて、こちらに向かってくるたくさんのタクシーや乗用車の中から39というナンバーのアリさんの車を見つけてくれた。2人を紹介し彼らが握手をした後、私はアリさんの助手席に乗った。 日本ではあまりないが、独りだけの乗客の多くは助手席に乗る。女性でもよくそうする。すると、道端でタクシーを拾おうとしている人に、空車でないことが一目で分かると言うこともあり、足の長い人は(私には縁のない話だが)、トルコのタクシーがほとんど小型車なので、後ろ座席では狭いからである。 帰り道は海岸通りからまっすぐエミニョニュに向かって貰った。マルマラ海はどんよりとした空を映して昼近いと言うのに暗い色をしていた。 マルマラ海の向こうにぼんやりと見えているのはアジア側の陸地。 友人の美保子さんは日曜日には必ず出勤するので、店まで会いに行き、そこでこの前アジア側に渡ったときのお礼にアリさんと同僚のアスランさんの子供達に、小さな箱にケスメ・ロクム(太いロクムを小口切りにして食べる)を彩りよく並べて貰い、美保子さんの社員割引でぐんとお得な値段にして貰うことが出来た。 店は新年の3日間たいそう繁盛しているらしい。私が入った時も中国人のグループで大混雑していた。日本人がたくさん来ればもっといいのに・・・去年の1月以来、ぱったりと途絶えた日本人観光客が、今年もほとんど期待出来ない状態であるのを嘆かわしく思った。 美保子さんのいる店「Istanbul Dream」の包装はとてもきれいなので、アリさんも嬉しそうに受け取った。 「ユミコ、アジア側に渡るときは、いつでも俺達の帰りに合わせて事務所に来いよ。船だバスだと乗り継がなくていいし、寒い思いもしなくて済むからな」 それにしても、早起きは三文の得とはよくぞ言ったもの、三文どころではなく、次から次へと運のいい巡り合わせになり、今年はまずまず、幸先の良いスタートのように思われた。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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