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カテゴリ:イスタンブール日々新たなり
【1月5日・火曜日】 昨日はまた少し風邪がぶり返したのか、身体が重く、パソコンを見ていてもどうも眠気が差してくる。本当は居住許可証更新のために裁判所に行って貰う書類があるのにどうも体調不良で行かれなかった。 それで本日、まだ億劫な気分なのだが、いつまでもそれでは申請書類が整わず、土壇場になって慌てるのが目に見えるようなので、とうとう午後から思い切ってアダーレット・サラユ(いろいろな裁判所の合同施設)に出かけて行った。 タクシーを頼み、ものの15分くらいで着いたが、朝のうちはたいそう混んでいるアダーレット・サラユも、午後1時半頃にはもう空いていた。 目的のところは受付ですぐに教えて貰うことが出来たが、受付のカウンターに、何やら20センチ角くらいの白い本がたくさん積まれているのが見えた。 1冊見せて貰うと、トルコの写真界の第一人者と言われるアラ・ギュレル氏(88歳)の手になる昔のベイオールの写真で、すべて白黒の非常にノスタルジックな作品ばかり。 イスティクラール通りやガラタ橋ほか、街角の風景、ゆきかう当時の人々、子供達など、アラ・ギュレル氏の70年余の写真家生活でも貴重な、おそらく私が生まれた頃のイスタンブールの写真ばかりなのだと思われた。 「これは売ってくれるのですか」と聞くと、受付の親切なお姉さんが「いいえ、ご希望の方には無料で差し上げています」と言う。私は手にしたその1冊を有難く貰ってくることにした。 今日の用事は、私のいわばマイ・ナンバーの証明書を貰ってくるわけで、外人として登録されているので、パスポートと現在の居住許可証を示して証明書を発行して貰った。この昼休みの直後だったため、比較的すいていて15分程のうちに目的を達することが出来た。この証明書の発行も無料である。 出口には何台かのタクシーが待っていたので、すぐにSGK(社会保険事務所)のオメルさんを訪ねた。オメルさんは2011年に知り合って以来、メヴラーナについて書かれた本を日本語に翻訳しています、と私が自己紹介してから本当に親切にしてくれている(これもメヴラーナの恩恵か)。 書類をオメルさんに預けて、ベイチェットさんがあとで寄った時に渡して貰えることになった。オメルさんと隣の窓口のハティジェさんがいつもチャイを取り寄せてくれたり、あれこれ話し相手になってくれるので、今日は「エルトゥールル・1890」の宣伝をぶってしまった。 すると、「週末に家族で観に行きますよ。とても興味があります」と2人とも言ってくれた。そう言えば、メフテル軍楽隊のデニズ少佐も2~3日前に観賞して来て、非常に感動した様子で、この映画を手放しで褒めてくれていた。 つい半年前に日本に行き、125周年の追悼式典に参加したデニズさんにしてみれば、エルトゥールル号の遭難事件がリアルに描写された大スクリーンで、お国のためにはるばる大航海をしたのに、武運つたなく大波にのまれていく乗組員の運命は、時代は違え、同じトルコの軍人としてまた格別な思いがあるのだろうと思われた。 タキシム広場を渡り切ると、私はついトゥルンジュ・パンパンの前で足を止め、居住許可証申請手続きの書類が整ったことですっかり気持ちが楽になり、喉をうるおして行こうと寄りこんだ。 まだこんな時刻から飲んでいる人はほとんどいないので、店は貸し切り状態。私は一番小さなグラスにビールを頼み、ゆっくりと裁判所で貰って来たアラ・ギュレル氏のアルバムを広げてみた。 中味は本当に全編これノスタルジーの連続である。ボスポラス海峡にはまだ橋がかかっていないし、行き交う船もいかにもぽんぽん蒸気、というにふさわしい感じ。 すると後ろからちらと覗きこんだ、トゥルンジュ・パンパンの3兄弟の長男ライフさんが、アラ・ギュレル氏について解説してくれたので、写真集は貰うわ、写真家について説明はして貰うわ、何だかとても得した気分。今日もいい日だったなあ、としみじみ思った。 アラ・ギュレル氏の古典的作品が70枚も。素敵な頂き物です。 ガラタ橋の70年前の姿や、街角のカフェで居眠りするおじさんや黒猫も。 当時からもう、町の通り道や横丁には猫が沢山いたのだな、と思われます。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016年01月09日 05時54分10秒
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