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カテゴリ:チュクルジュマ界隈のこと、または猫ばなし
【1月6日・水曜日】 今年、元旦のイスタンブールは大晦日に降り積もった雪のために、一面銀世界だったが、一日だけ素晴らしい上天気になり、その後の3日、4日、5日とまた雪でも降りそうな空模様が続いていた。 どんよりと曇ってまたいつでも雪が来そうな空模様が続きました。 暮れに小林正貴さんの坊やエミル・慶次君の満1歳を祝う誕生会で、共に招待客として9月下旬のクルバン・バイラム以来久々の対面だった七緒さんと、新年になったらまた会いましょう、と約束したので、今日はお昼をうちの近くのギョズレメ屋で一緒に食べることにしていた。 年が明けても、世界的な政情不安は収まる様子もなく、七緒さんと会う少し前の、昼12時に見たNHKの夜7時のニュースで、北朝鮮が核実験をしたらしいと言うことが世界にセンセーションを巻き起こしていた。 私達は食後、ギョズレメ屋のセラップ姉さんの焼いたチーズケーキを食べたのち、店を出て右と左に別れ、私はその足で昨日と同じにトゥルンジュ・パンパンに向かった。 美由紀さんとささやかな新年の祝いをするつもりだったのである。美由紀さんとの約束にはまだ1時間以上あったが、一足先に行ってまたまたシェフタ(口あけの客)になった。 しばらく待つうちに、日本人そっくりの女性とトルコおじさん2人が現れ、おじさんの1人が私を見た途端、「カセー、マダムカセー!」と呼びかけながら、独りで座っている私のそばに、両手を大きく広げながらやってきた。 「あ~、メルハバ~!」と私もすぐに握手して応じたが、実によく知っている人なのに名前が思い出せなかった。でもたしか、チュクルジュマの隣、ジハンギルの人で、店をやっていたなあ、とおじさんが喋っている間に必死に、何をやっていた人かは覚えていたし、クチュックさんという苗字も思い出したが、ファーストネームが出て来ない。 仕方がないので、お名前を思い出せないと正直に言って名乗って貰った。メフメットさんだった。少しアルコールが入っているらしく、えらい賑やかで、いつまでたっても一緒に来た2人のところに行かないので、とうとう女性が迎えに来た。 メフメット・クチュックさんは、かつてジハンギルでマントゥのお店を開いていた人。 この人についても、キルギスタン人だそうで、メフメットさんはぜひ知り合っておくように、と紹介してくれたのだが、どうしても知り合っておかなくてはならない、という状況ではないので挨拶だけにしておいた。 そのうちに美由紀さんが到着、挨拶をすませるとメフメットさんはやっと自分達の席に戻って行った。 メフメットさんはジハンギルに住んでいた頃の私のアパルトマンの並びで、配達専門の家庭料理の店をやっており、ある時、突然店を止めて政治家になると言いだし、ムフタル(村長あるいは地区長)の選挙に立候補したが当選せず、その後同じ町内に引っ越して、スサム・ソカウ(セサミ・ストリート)の一角で手づくりのマントゥ専門店を始めたのだった。 自信満々で始めたものの、お祝いを兼ねて食べに行ったら、私にはこれが「ムムム?」というくらい不味かった。その後1年くらいでその店は消えてしまったので、どうしただろうと思っているうち、また同じ町内でも別な地区で始めたらしく、立て看板を見たことがあるものの、食べには行かなかった。 いまはどうしているのか聞くと、7~8年前に店を畳んでジハンギルからは離れ、アジア側に住んでいるとのことだった。彼は今日一緒に来た人々と同じ会社で働いているらしく、送迎車の運転手をしているという。 メフメットさんは、マントゥ屋時代は、どこに配達に行くにも、息子のS君をバイクの後ろに載せ、あれやこれやと話しかけながらジハンギルの街を駆け巡っていた。ジハンギルの子供達が私の愛犬ビクターが大好きだったように、S君も当時ビクターを見ると、目を輝かせてじっと身じろぎもせずに見ていたものだった。 私も彼のそばに行って、ビクターの綱を持たせたり、ビクターをお座りさせて、彼に頭を撫でてやって欲しい、と誘ったりしたものだ。 その彼ももう32歳となったのだそうで、私は別れ際にメフメットさんに、S君の病気の快癒を祈りますと告げ、店を出るまで見送った。 改めて美由紀さんと向かい合い、去年1年、不運な状態が続いたトルコ観光業界が、今年こそ少しは期待出来るようになってほしいと、共通の願いで乾杯したのだった。 (メフメットおじさんが余りに強烈だったので、美由紀さんとの写真を写すのを忘れました) アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016年01月10日 00時51分04秒
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