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カテゴリ:イスタンブールで人と会う
【1月15日・金曜日】 今日は早くも金曜日、どんよりと曇った重苦しい空模様である。天気予報では週末にかけて西の方から寒気が流れ込み、再び風雨雷雨の兆しがあり、月曜日には今冬2度目(今年に入っては初めて)の降雪があると予報されている。 火曜日にスルタンアフメットの広場の自爆テロのせいで両替に行かれずにいたため、いよいよ手元の財布のトルコリラが風前のともしび状態になったので、ついに両替に行く気になって風呂から上ったところへ、トルコの友人から電話がかかってきた。 元近所にいた人で引っ越して1年近くなるが、用事があってボアズケセン通りに来たので、家にいるなら顔を見に行くよ、と言うのだった。私も間もなく用事で家を出るので、途中で出会うようにしよう、と言うことになった。 チュクルジュマ通りとボアズケセン通りの交わる角にあるジャン・ビュッフェでチャイとソーセージ・サンドを彼女にご馳走になり、2時頃席を立って左右に別れた。幸い雨の降りそうな気配はなくなり、午後から青空が広がってきたが、余り遅くなるとスルタンアフメットの祈りの場に行く頃、日が傾いてしまう、という心配があった。 ボアズケセン通りのタクシー乗り場にATMがあるので少し引き出し、そこの車でトラムワイのエミニョニュ駅まで行くつもりが、運転手が間違えて反対方向に曲がってしまったので、美保子さんの店の前で降ろして貰った。 ガラタ橋を渡るときに見える、スレイマニエ・ジャーミイの偉容 金曜の午後なら、人波でごった返しているエミニョニュ、でもいまはガラガラです。 私は昼に慌てて家を出たので、祈りの言葉を書くつもりで用意した厚紙を家に忘れて来たので、美保子さんの店で彼女に段ボールをB5位の大きさに切って貰い、白いA4用紙を貰って、イスタンブールへの思いを書いた。 それを美保子さんが手早くテープで段ボールにきれいに張り付けてくれたので、大事にトートバッグにしまい、トラムワイに乗ってまっしぐらにいつものグランド・バザールのナディル両替店に行った。 途中の知り合いの店々に見舞いの言葉をかけながら、両替店の古い顔なじみのエルシャンさんのところまで行くと、真っ先に向こうから私のことを心配してくれた。 多少のトルコリラが手に入ったところで勘定をしていると、チャイを飲んでいらっしゃい、と言ってくれたエルシャンさんに、広場の祈りの場に行くつもりなので今日は失礼します、この次に来た時2杯ご馳走になります、と言いながら笑って別れた。 グランド・バザールの正門にあたるヌル・オスマニエ門の前で、縦笛売りのおじさんが以前「朝から客が全然いなくて・・・」としょんぼりしていたので、1本買ってあげて以来、親しみをこめて挨拶してくれる。そのおじさんから声を掛けられ、私は立ち止った。 これから広場に行って、日本人の思いを届けてお祈りしてくるつもりなの、とメッセージを書いたボードを見せた。するとおじさんは小さな目玉のお守り「ナザル・ボンジュウ」を私のコートの襟元に付け、プレゼントしてくれた。 正門に当たるヌル・オスマニエ門。去年の夏ごろまでは週末など特に 満員電車のようで、なかなか門の中に入れないくらいだったのです。 駅のそばにあるチェンベルリタシュ(タガを嵌めた石)は、東ローマ帝国の 中央広場のシンボルでした。コンスタンティヌス帝の得意顔が見えるようです。 それにしても、ため息の出るようなスカイライン、これがイスタンブールです。 カリグラフィーの店にも見舞いに立ち寄った。兄さんのオメルさんが、今手が空いているので、チャイでも取りますからゆっくりしてください、と言ってくれたが、そこもすぐに暇乞いして、トラムの線路を渡ったところの花屋で、赤いカーネーションを買った。 オベリスク(ギリシャ語、本来は長い串のことを言うらしい)のことを、トルコ語ではディキリ・タシュと言う。その柵の前には首相夫妻が鎮魂のために献花した13日以降、一般の人々も出入り出来るようになって以来、たくさんの花や蝋燭や、メッセージなどの類が捧げられ、祈りに立ち寄る人が絶えないのだと言う。 ヒポドローム広場に着きました。人出はごく少ないものの落ち着いた雰囲気でした。 テオドシウスのオベリスク前、正方形の一辺に祈りの場が設けられています。 自分の書いてきたメッセージ・ボードを置いて祈りました。 私もボードを端の方に置き、花を供えた。美保子さん作成のボードにはまず日本語で「イスタンブールは負けないぞ!!」と書いて、その下に同じ意味のトルコ語を書き、最後に「日本人も応援します」と、これもトルコ語で書いてある。そのボードの前で目を閉じ、何も考えずにじっと手を合わせて祈った。 手動セルフィーなので距離が近過ぎ。手も短いし。でもテオドシウスのオベリスクと。 オベリスクとブルーモスクのミナレット、右手前のミナレットは建て直ししています。 3匹の蛇の柱。頭の部分が欠損している。紀元前5世紀戦勝記念のもので、 コンスタンティノープルに移され建立されたのは4世紀の頃と書かれている。 祈りを終えるとやっと少し気が晴れたような気がした。そのあと、しばらく広場周辺を散策した後、ここ2年近く会えなかったもとキベレ・ホテルのオーナーで、絨毯・宝石の店「ユリュック」を経営するアルパッサンさんにお見舞いに行った。作家の澁澤幸子さんの親友で、人格者としてつとに知られたお人である。 アルパッサンさんの愛犬ミニーちゃんと。ユリュックの2階です。 ミニーちゃんと再び手動セルフィー。なにしろ人懐こい可愛い子です。 まだ学生の頃からこの店にいたセルカンさん。髭が長いけど優しいハンサムボーイ。 久々にゆっくり会えて、アルパッサンさんのお友達なども交えて楽しいひとときを過ごした。そろそろ空がたそがれて来た頃暇乞いしたが、お父さんと親子でこの店で働いている店員のセルカンさんと記念撮影していたら、電話が鳴って、着物の早苗さんが「新年のご挨拶おそくなりまして~」と私を気にかけてくれたのだった。 去年は何度もメフテル軍楽隊のコンサート、その他の日本がらみ行事にも一緒に行ったこともあったのに、去年11月初めにウイグル料理で出会ったきりだったので、今年も近々お目にかかれたら、と言ってくれるのだが、今年こそはもう、あまり出歩くことも控えなくてはいけないし、改めて出直すのは難しくなる。 そこで電車通りのプディングショップというロカンタにも最後にお見舞いに寄るつもりだったので、近くに住んでいる彼女とは、そこで待ち合わせすることにした。 早苗さんも9月以来、今は一人でもメフテル軍楽隊のコンサートに何度か行っているらしく、先日、大太鼓奏者のシェラフェッティンさんと電話で話していたら「今日も着物のお友達が来ていたよ」と知らせてくれたのだった。 ほどなく、プディングショップの古い顔なじみのガルソン達としばらくぶりの再会を喜び、自爆テロのお見舞いを言うと、みんなが本当によく来てくれた、と大歓迎だった。 やがてやって来た早苗さんと食事をしたのだが、食後、牛乳の甘味ストラッチとチャイ合計6杯を何とガルソン達からのイクラム(おごり)にしてくれたのだった。 今後、仕事以外であんまり身軽に出歩くと、去年となんら変わらないことになるので、早苗さんとも当分会えなくなるかもしれないからね、とゆっくりお付き合いして、7時半過ぎに席を立った。 金曜日の夜だと言うのに、スルタンアフメットは閑散としている。昼間行ったグランド・バザールも、かつてはメインストリートは通勤電車のようだったのに、人影もまばらな今日のあり様には、思わず絶句させられた。 しかし、トルコはこんなことに負けないと信じる。ところが日本では「テロで格安ツアーがさらにお安くなっている今こそ、イスタンブール、狙い目ですよ」などと言っているらしい. この事件で、トルコ人にしろ、日本人にしろ、今後生活が成り立つかどうか、と崖っぷちに立っている人も多い、と言うのに、なんと無慈悲な言い方なのだろうと、正直なところ、そういうことを言う人にはちょっと落胆も感じている今日この頃である。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016年01月17日 00時45分16秒
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