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カテゴリ:イスタンブールで人と会う
【6月10日・金曜日】 本日は、めでたくメティン・ノリコ夫妻の共和国式結婚式が終わり、私はまた軍楽隊の皆さんと送迎バスで帰途に着いた。 アタテュルク空港の入り口付近まではすいすいと走って来られたのだが、国道E5(エー・ベシ)に入った途端に、魔の金曜日の交通渋滞の洗礼が待っていた。 せっかく1時間も早く式が済んで、こりゃあシメタと思ったのもつかの間、平清盛みたいなトルコの大統領でも解決の出来ない大渋滞で、とろとろ、とろとろ2時間弱。第4レベント駅前で降ろして貰い、あとはメトロとフィニキュレルとトラムワイと3つの交通機関を乗り継いでやっとスルタンアフメットに着いたのが、もう7時近く。 3年ぶりにイスタンブールに見えた渋澤幸子先生とのデートに、大幅に遅れてしまった。途中で遅れてしまいそうです、と電話は入れておいたが、なんだかえらく遠回りをしてしまい、渋滞のひどくなり始めたゼイティン・ブルヌあたりで下ろして貰えば、トラムワイ1本ですんなり来られたのに、と目は回るが、頭の回らない自分に腹が立つ。 でもその代わり、22年前に日本に行くメフテル軍楽隊の人々と知り合ったときのメンバーで、今は既に去年退職した渋い男前のセイフィさんと久々に一緒になり、並んで座って、懐かしい話をたっぷり出来たので、むしろ良かったかも、と思い直した。 幸子先生とは、短い時間だったが、2014年の12月に父の3回忌の法要で日本に行った折、新宿まで会いに来てくださったとき以来で、友達の結婚式の話の他、とても話がはずみ、懐かしいスルタンアフメット・キョフテジシで夕食をご馳走になった。 ちょうどイフタル(断食明け)の時刻も近く、地元の人かなりの行列になっているが、異教徒とか、断食をしていない人はさっさと食事することが出来るので中に入れてくれる。まずは腹ごしらえ。 そのあとはすぐ並びのプディング・ショップで、めざすは評判のプリン。でも、去年、おととしのラマザンに比べて何と寂しいことか、世界有数の観光地、イスタンブールが、ほとんど観光客のいないラマザンを迎えているのだった。 本当は遅くまでお喋りしたいのに、猫達に餌をやる時間がなかったので、9時半には失礼し、そそくさと家に帰ることになった。先生、夕飯ご馳走様でした。 胸からウエストからきつきつのフォーマル風なパンタロンスーツを脱ぐと、鍵ホックがお腹の脂肪に食い込んだ痕が赤くなってしまっていた。 見事な軍事博物館のアジサイ、今年も大きな花を開きました。 あそこのプリン、絶品です。スルタンアフメット駅の近く、電車通りのプディング・ショップにて スルタンアフメット・キョフテシを食べている写真がありません。コロリと撮るのを忘れてました。 あられのほかに、きゃらぶきの佃煮も。これがまた美味しい。 ああ、体重を減らさなくては・・・と思ったのもつかの間、先生のお土産にいただいた揚げあられがあまりに美味しくて、袋を開けたが百年目、2時に寝るまで、ポリポリ、サクサク、半分で止めておくつもりが、あともう、数えるほど。 えい、それだけ残すのも未練がましいから、思い切って全部食べてしまった。塩味なので口や喉が渇いて水をたっぷり飲んだら、寝ていくばくもなく目が覚め、胃の中がひどい膨張感で眠れなくなり、太田胃散のご厄介になってやっと眠れたのだった。 私の生まれた千葉県東葛飾地方の方言では、このように、へちょへちょと時間も構わず何でも食べる食いしん坊を「はなっぽろ」と呼び、いたずらっ子を「へそっころ」と言う。何と言う、懐かしく愛すべき言葉なのだろう。 でも今や流山は、都心につくばエキスプレスで直接乗り込める一大ベッドタウンで、土地の人はめっきり少なくなってしまい、はなっぽろもへそっころも、とんと聞かない死語になってしまったようである、残念。 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016年06月18日 06時24分13秒
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