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カテゴリ:イスタンブール日々新たなり
【6月13日・月曜日】 「父の名は、トルコでは何より大事」 この私は、お金にとんと縁のない人間なのに、5月下旬からずっと、実に何度も銀行に行く用事が出来しており、合計してみると十何回も無駄に足を運んだり、銀行で長時間待たされたりしている。 これには二つの事案が起因しており、一方は4月下旬にコーディネーターとして働いた時のクライアントが、5月下旬に日本から送金してくれたにも関わらず、1週間余り不着で、毎日銀行の窓口に問い合わせに出かける羽目になってしまったのだった。 この、送金が確実に行われなかったということでは、2014年に、私が送金したチケット代がトルコ航空に規定時間までに届かなかった、という理由でキャンセルされ、慌てて別な手段でチケットを買い直した事件があり、前に払ったチケット代が、片や国営銀行の再大手、片や民営の最大手の両行間で行方不明になったことが思い出される。 本当は時間前にきちんと入金されていたのに、受け取り側の銀行がすぐに対応しなかった、トルコ語で言う「イフマル=怠惰、不注意」が原因とみられる。 その後すぐに私はチケットを買い直したので、最初の分は振込銀行に返金して貰うことにした。しかしお金は返ってこなかった。調べて貰うと、トルコ航空の口座のある国営イシ銀行は既に返金したと主張し、私の利用する民営ガランティ銀行はいまだ着金なし、と主張し、日本へのチケットだから金額も金額なので大いに気を揉み、あいにくラマザンに差し掛かってこの調査はバイラム後に持ち越され、業務停滞、何も進まなかった。 結局1ヵ月半も経ってからようやく、再調査を依頼してやっと戻ってきたという、信じられないようなことがあったためと、今回の送金については、私もお金が要りようだったので、自分の口座のある民営の最大手、ガランティ銀行に入金があったかどうか、毎日調べて貰いに通う必要があったのだった。 そのクライアントからの送金は、私がユーロを日本円に換算して、日本円で表示した請求書と日本円口座の情報を添えてお願いしたにもかかわらず、結局5月25日にクライアントがユーロ表示の金額を振り込んでくれたため、私にはユーロ口座がないので、受け取り人不明のまま、5月31日からプールにためられていたとのことだった。 その後、もう睡眠口座になっていた私のドル口座が発見され、そちらに入金されたのが6月8日になってやっとわかった。 そこにもってきて、うちのカプジュのオスマンがかつて私の財布から娘と一緒に泥棒を繰り返していた悪徳女房とつるんで、2軒ほどアイダット(月決めのカプジュの給料、各フラットの負担分)を払わない家主がいる、と言うことで、アパートの各フラットの持ち主全部を裁判に訴えた、しかも訴えられた私どもには知らせず、裁判所から私達への通知が来ると隠してしまい、調査の人が聞きとりに来た時、自分達だけが対応して言いたい放題言ってサインしてしまった。 ゆえに私達フラットの持ち主12軒が知らない間に、カプジュに不当な行為をした、と言う理由で、労働省関係機関から1戸あたり大変な額の罰金が科せられ、その知らせの文書も仕舞い込んでしまったらしく、支払い期限が過ぎて、法的処置(たとえば差し押さえとか、あるいは実刑で拘置所行き)が執られる寸前になってしまっていた、と言う事件が勃発したのだった。 12軒のうち2軒が数年に渡る滞納で、何千リラずつも払っておらず、私も含めた10軒の持ち主はみんな私と同じように毎月正直に遅れないようにカプジュの給料を払い、私など彼の家が水害に遭えば駆け付けてバケツで水の掻い出しまで手伝ってやり、女房と娘の泥棒行為も、娘の将来を考えて許してやり(一銭も戻ってはこなかったけど)、それまでどれほど隣人として親切に、同等に付き合いして来たか、それ以上に子供達が小さい頃からどれほど孫のように可愛がって、金銭的、物質的援助もしてきたか、というのに、この始末である。 5月から何度も住民会議が開かれ、ヨネッティジという、住民の代わりにいろいろ法的な問題ごとやアパルトマン内を住みよくするためのカウンセラーも雇って、この問題に対処して来たので、一日おきくらいに何度も何度も会議で、夜の仕事の出来る時間がつぶれ、私の納品までの日数はどんどん減るばかり。残りページは全然減って行かないのだった。 しかも翻訳に取り掛かる約束だった5月1日に、前夜から腫れて来た顔がホルモン投薬したかぼちゃのように膨れ上がり、翌2日には歯科医に飛んで行き、ブリッジの4本繋がりの入れ歯を外して内部を治療、強い麻酔3本を使って治療したので、パソコン仕事は休まざるを得なくなった。 1週間遅れで翻訳をスタートしたが、大誤算があった。教授やドクトルの論文の中に、古い時代のオスマン語がぎっしりの物があったのである。髪をかきむしりながら辞書を引いても、すぐには分からない。そのためにオスマン朝時代末期の歴史書にも目を通して、どういうことなのかを把握しようとしたため、一日で2~3行しか進まなくなったときもあり、仕事が大いに停滞してしまった。 1章ごとに順番にやって行かないと気が済まないタチが災いして、「そこは置いておいて」次の章を先にやる、という知恵が浮かばないのだった。 軍事博物館の本館入り口の見事なアジサイの植栽。きれいに色づき始めました。 そうこうしているうちに、前出のカプジュの反乱である。5月下旬、とうとう、翻訳の依頼のあった会社に出かけ、パトロン(社長)に頼みこんで納期を延ばして貰い、翻訳仲間に一部を手伝って貰うことにも承諾を得た。もちろん最終的にはすべて私が読み直し、訳文が正しいかどうかも監修し、同一の決まりごとで統一された文章として進めるように指示されている。 この仕事というのは、トルコのオスマン朝時代の末期に日本からたくさんの工芸品、芸術品が輸入され、イスタンブールにいくつもある宮殿のコレクションとなっており、ジャポニズムとしてもてはやされたので、これらを一堂に集めて展示会を開いたときの、たくさんの専門家達の論文入りの分厚いカタログ本が、3年後のいま日本語版も残そうと言う動きになって私に依頼が来たものなのである。 さて、納期を延長して貰い、そこまで翻訳会社も協力的になってくれたものの、カプジュの反乱で、私の受ける影響は計り知れない。何度も住民会議が持たれた結果、うちのアパルトマンの有志が、そういうコンサルタント業の会社に依頼し、見つけだしてくれたのが、ムラットさんと言う建築業の人で、何十軒ものクライアントを持ち、法律にも明るいので今度のうちのアパルトマンの陥った苦労を上手に解決してくれるだろう。 そうする方法として、とりわけ国の罰金はもう効力を発しているので、各戸とも何回かに分けて罰金を払い国民の義務を果たす姿勢を取り、払い終わってこちらに法的な負い目が無くなったら、このカプジュを逆に訴える、そしてこのアパルトマンから追い出す、という手順を踏もうと言うことになった。 彼の迅速な事務処理で、5月下旬にアク銀行ジハンギル支店に、この、ウルガス・アパルトマンの住民口座が開設された。そこに、毎月必ず、罰金の戸別負担金(毎月420TL=約15,000円)を半年間払い続け、罰金を終わらせる。 コンサルタント料の25リラとカプジュのアイダット150TL、そして、2軒の家主が払わなかったアイダット分をあとの10軒も負担し、25,60TL(約1,000円)ずつ払い、早い時期にカプジュには一切誰も借りがない、と言う状態に持って行く、ということになった。 この時、何でアイダットを払わなかった2軒分を自分達が払ってやるんだ、と文句を言わずに協力し、一刻も早くこの状態から抜け出して、逆にカプジュを訴える、あるいは辞めさせることにして、通いの掃除人を雇うことにしよう、とムラット氏は誰もが納得し協力を惜しまない気分にさせるような、素晴らしい説得力で事務的な処理をしてくれたのである。 さて、先日の月曜日(13日)、アク銀行に支払いに行ったら、私はそこに口座がなく、カードもないため一般の部の番号札を取らなくてはならない。すると、後から来た人が次々と待っている私を尻目に用事を済まして帰って行くのに、45分待ってもまだ呼んでくれない。只待つだけならいいけど、後から来た人が先に用事を済まして貰えるのに、ずっと道端に捨て置かれるようで、だんだん腹立たしくなってきた。 アク銀行の窓口でこんな思いをしたのはこれで5月末日からこの日まで、もう3回目である。そこで私は、昼休みになったので、午後からまた来て下さい、その番号札はそのままでいいです、と言うので、普通預金口座を開いてほしいと頼んだ。近所の食堂で時間を潰し、午後からやっと番が来て、口座開設事務を頼んだら、窓口のお姉さんが言うのである。 「残念ですが、お父さんの名前のToshioの、shの綴りが、コンピューターによって認証されません。日本からこのお父さんの綴りが公式の文書でも使われている、という証拠に、お父さんのパスポートの写しを取り寄せて下さい」と言う。 「アッラハッラー、父は3年半前に亡くなり、そう言う書類の写しを頼んでも今は送ってくれる人もいません。何とかなりませんか。日本では銀行の口座を開くのにお父さんの名前なんか必要ないんですけど・・・。お父さんが貯金するわけじゃないんですから。」とつい皮肉っぽく言ってしまった。 すると女性行員は凛として答えた。 「はい、日本では要らなくても、トルコではお父さんの名前が何より大切なのです、由美子ハヌム」 えーっ、ごもっとも!! と私は自分が言い過ぎたことを感じた。 父の名。そうだよね、私は思わず今は亡き父に申し訳ないことを言ったようで、胸を突かれてしまった。すべての人間にとって、父の名は(母の名もだけど)大事なのだ、ということを再認識させられて私は、ちょっと申し訳ない気持ちになって、素直に彼女に謝った。 「済みませんでしたね、ハヌムエフェンディ。お父さんの名前は、その存在と同じに大事なものでしたね。勿論私にもわかります。でも日本から書類を取り寄せるのはおそらく無理なので、口座開設は諦めます。これからは父の名にかけておとなしく順番を待つことにしますよ」 アントニーナ・アウグスタ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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